ひふみ神示 下つ巻 第三十八帖

ひふみ神示より

 

【  第三十八帖

 富士は晴れたり日本晴れ、これで下つ巻の終わりざから、これまでに示したこと、よく腹に入れて呉れよ。神が真中で取次ぎ役員いくらでもいるぞ、役員はみな神柱ぞ。

国々、ところどころから訪ねて来るぞ、その神柱にはみつげの道知らしてやりて呉よ、日本の臣民みな取次ぎぞ、役員ぞ。

この方は世界中丸めて大神様にお目にかけるお役、神の臣民は世界一つに丸めててんし様に献げる御役ぞ。

この方とこの方の神々と、神の臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。

神祀りて呉れたらいよいよ仕組知らせる神示(フデ)書かすぞ、これからが正念場ざから、ふんどし締めてかかりて呉れよ。

秋立ちたら神烈しくなるぞ、富士は晴れたり日本晴れ、てんし様の三四五(ミヨイズ)となるぞ。

    八月の三日、ひつくのか三。    】

ひふみ神示 下つ巻 第三十七帖

ひふみ神示より

【 ひふみ神示下つ巻 第三十七帖

 

 世が変わりたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神申して居られるぞ。今の世で風雨を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かんようになりてゐるのが分からんか。盲つんぼの世の中ぞ。神のゐる場所塞いで居いてお蔭ないと不服申すが、分からんと申しても余りであるぞ。神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろうが、あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、臣民とは一人を守る入れもののことぞ、民草とは一人を守る入れものぞ、ひつくの臣草は神がとことん試しに試すのざから、可愛そうなれど我慢して呉れよ、その変わり御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。

何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生まれ代わり死に代わり鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民落ちぶれてゐると申してあろうがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。

   八月三日、ひつ九のか三。     】

ひふみ神示 下つ巻 第三十五帖 第三十六帖

 ひふみ神示より

ひふみ神示 下つ巻 第三十五帖

 

 何もかも持ちつ持たれつであるぞ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、金では世は治まらんと申 してあるのにまだ金追うてゐる醜しい臣民ばかり、金は世をつぶす本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は ”〇の中にゝ” の光のやり方ぞ。

 臣民の生命も長うなるぞ、てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られる様になるぞ、死のないてんし様になるのぞ、それには今のやうな臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから、このくらい不忠なことないぞ、それでもてんし様はおゆるしになり、位までつけて下さるのぞ、このことよく改心して、ひとときも早く忠義の臣民となりて呉れよ。

     八月の三日、ひつ九の”〇の中にゝ”。

 

 第三十六帖

 神をそちのけにしたら、何も出来上がらんやうになりたぞ。国盗りに来てグレンと引繰り返りて居ろうがな、それでも気づかんか。

一にも神、二にも神、三にも神ぞ、一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様ぞ。

この道つらいやうなれど貫きて呉れよ、だんだんとよくなりて、こんな結構なお道かと申すやうにしてあるのざから、何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出して呉れよ。

 戦位何でもなく終わるぞ。今のやり方ではとことん落ちて仕まうぞ、神くどう気づけて置くぞ、国々の神様、臣民さま改心第一ぞ。

  八月三日、ひつ九のか三。

                                    】

ひふみ神示 下つ巻 第三十四帖

 ひふみ神示より

【 第三十四帖

 臣民はすぐにでも戦すみてよき世が来る様に思うて いるが、なかなかそうはならんぞ、臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか、自分の心よく見てござれ、よく分かるであろがな、戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。

一、二、三年が正念場ぞ。三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。

    八月の三日、ひつくのか三。】

ひふみ神示 下つ巻 第二十九~第三十三帖

ひふみ神示より

【 第二十九帖

 神の土出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、それぞれに国々、ところどころから出るのぞ。 白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば、喰べられるお土もあるぞ、神に供へてから頂くのぞ、何事も神からぞ。

   八月二日、一二”〇の中にゝ”)     

 

  第三十帖

 八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉(カノトトリ)はよき日、よき年ぞ。冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。

   八月二日 ひつくのかみ。

 

  第三十一日

 この神に供へられたものは、何によらん私することならんぞ、まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士(ココ)晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。このやうな仕組でこの道ひろめて呉れよ、それが政治ぞ、経済ぞ、真通理(マツリ)ぞ、分かりたか。

    八月の三日ひつ九のか三。

 

  第三十二帖

 この道ひろめて金儲けしようとする臣民沢山に出て来るから、役員気つけて呉れよ役員の中にも出て来るぞ、金(カネ)は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は国にささげても金は自分のものと頑張っている臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ。

     八月三日、一二”〇の中にゝ”。

 

  第三十三帖

 親となり子となり夫婦となり、兄弟(ハラカラ)となりて、生きかわり死にかわりして御用に使ってゐるのぞ、臣民同志、世界の民、みな同胞(ハラカラ)と申すのは喩でないぞ、血がつながりてゐるまことの同胞ぞ、はらから喧嘩も時によりけりぞ、あまり分からぬと神も堪忍袋の緒切れるぞ、何んな事あるか知れんぞ、この道の信者は神が引き寄せると申せば役員ふところ手で居るが、そんなことでこの道開けると思ふか。一人が七人の人に知らせ、その七人が済んだら、次の御用にかからすぞ、一聞いたら十知る人でないと、この御用つとまらんぞ、うらおもて、よく気つけよ。

 因縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。七人に知らしたら役員ぞ、神が命ずるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろうがな、役員は神のぢきぢきの使ひぞ、神柱ぞ。

 肉体男なら魂(タマ)は女(オミナ)ぞ、この道十(ト)りに来る悪魔あるから気つけ置くぞ。

   8月の三日、ひつ九のか三。   】

 

 

 

 

ひふみ神示 下つ巻 第二十八帖

ひふみ神示より

【 第二十八帖

 またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。この方は元のままの身体持ちてゐるのざから、いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとは”〇の中にゝ”(カミ)の七(ナ)ぞ、神の言葉ぞ。

 今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心して呉れよ。年寄りや女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得てくだされよ、神せけるぞ。

     八月二日、ひつ九のか三。】

いろはひふみ

  もう一つのブログに書きましたが、帯状疱疹になりました。

初めは背中の左側が痛くなり、翌日には背中の痛みは消えて左胸の下に違和感を感じる程度。3日目には違和感が軽い痺れになって、4日目は時々痛みが走るようになりましたが、赤い発疹が出なかったし、痛みもそれほど強くないので、盆明けまで様子をみていました。

 背中に痛みが出た時には帯状疱疹かもしれないと思い、ちょちょっと調べて発疹が出ないケースもあると知りましたが、なにせ痺れも痛みもたいしたことないし、痒みはない。急患で行くほどのことでもなかったので、他の病かなと思い盆明けでいいやと放置。

 4日目から時々強い痛みが出だしましたが、5日目は外せない用事があったので、翌日病院に行こうと放置していたら、5日目の夜にとうとう赤い発疹が! 夜中には激痛が始まりました。

 せめてもう少し早く発疹が出ていたら、用事が終わってすぐに行っていたのにと思いつつ、のたうち回っていました。 自分の体内から副腎皮質ホルモンを出すところがあったと思い出してツボを押し、少しおさまって眠ったら、また激痛で目が覚めての繰り返し。

 この激痛を和らげるには…、そうだ!山本光輝先生の「いろはひふみの書」のコピーがあったぞ!と思い出しました。敷地の四隅に埋めた時にあと1枚予備のがあったはずだと。激痛に耐えながら探し出して、患部に当ててしばらくすると眠っていました。起きたら少しは痛かったですが、あの凄まじい激痛はなくなっていました。

 病院でやはり帯状疱疹と診断され薬をいただき、痛みも痒みも殆どなく、元気?にこうやってブログを書いております。(ちゃんと書は患部に当てております)

 山本光輝先生、ありがとうございますm(__)m まだお会いしたことはありませんが、心から感謝いたします。

 

 ということで、いろはひふみの書がついている「神に近づくには波長を合わせればいい!」という山本光輝先生と保江邦夫先生の共著を、もう一冊ポチリと感謝の意味で購入。^^

 この書は、台風でも落ちなかった落ちないリンゴで有名な林檎農園さんが木につけていたり…、コピーしてもパワーは同じだそうです。家の四隅に埋めたらいいとも書いてありました。家は今までは奈良の大神神社や京都の城南宮の砂でお清めをしていましたが、今年はなかったので先生の書を埋めさせていただきました。ありがとうございます。