ゲルマニウム③
「ゲルマニウムと私」第2章 より
【酸素の代替を果たす医学の夢】
我々が生きてゆくために、
植物は体内で燃焼してエネルギーを与え、
酸素は炭酸ガスと水素になり、
炭酸ガスは呼気になって肺より排出され、水素は酸素と結合して水となって体外に出る
この際の水素は陽イオンで生体内ではまったく役に立たない出すとみたいなもの。
このダストは取り除く必要があるのだが、それには貴重な酸素が大量に消費されてしまう。
このゲルマニウム化合物は強力な脱水素能力を持っているので、酸素に代わって、ダストである水素と結合して体外に排出される
水素を奪うということは酸化現象であり、血液中のダストのみならず、病原となる不都合となる不都合な遺物、特にたんぱく質系のものを酸化して体外にもちだしてくれると考えられる。
わかりやすく表現すれば、血液を掃除して浄化してくれるようなもの
【人間は電気の極超微小物の凝集体】
病気は自分自身が治すもの
自分がある意味で医者になったつもりで、病気に立ち向かわなければ難病は解決しない
人間も物質だから、物理学でいう物証論の範囲に入ってくる。つまり、物理学でいえば、私たちは電気の粒の凝集体にすぎない
宇宙は極超微小の電気の粒で充満されており…
私たちの生命身体は大宇宙の方程式によって、電気の微小物が凝集しているのであり、この方程式を宇宙の摂理といってもよく、神仏といってもよいと思う
しかしこれは頭の中の仮定であり、科学で証明できないが、不可知ということで、この仮定を否定することはできないのである。そして、こういった認識を持つことが人生にとって大事なことなのだ
ストレスは”歪み”のこと。宇宙の方程式にどこか適合していない部分ができたということ
歪みの測定には、からだの各部分の電位を測定するのがよい
それぞれの臓器に、それぞれ健康体として適正電位が定まっているが、病気になると、電位が上がったり下がったりしてくる。
電位をつくるもとになるのが電子だが、生体内では水素イオンが電子の役目
」
まとめるとこんな感じです。
ゲルマニウム②
1975年に出版された「ゲルマニウムと私」 第二章 私のゲルマニウム
をかいつまんでみますね。
・約百年前に周期律の提唱者メンデレーエフは、32番目のところを空白にして、将来見つかるべき元素として「エカケイ素」と名付けて予告した。それから約20年、ドイツ人であるウインクラーが祖国の名をかりて「ゲルマニウム」と命名。
・ゲルマニウムは半導体の性質を主にした研究が世界的に趨勢となってきた。
・見たところは金属のように見えるが、実は金属としての属性を持たない半導体物質。
・ゲルマニウム原子の電子は特殊なふるまいをする
一番外に4個の電子を持っており、ある異質の物質が来ると4個のうち一個が外に飛び出す。飛び出したあとは、ポジチーブホールといって、「正」に荷電された一種の落とし穴になるので、外から電子を取り込む現象が起こる
・石炭は太古の植物が大地の沈下によって海水に浸され空気から遮断された姿で炭化したもの
・石炭中にゲルマニウムが含まれていることはソ連の文献によってすでにわかっていた、調べてみるとゲルマニウムは植物の木質部に特に多いことがわかった
・奇妙なことに、欧米の石炭のように植物がシダ類には比較的に少なく、本邦炭
のように若い石炭(第三紀)セコイア類のものにはかなりの量のゲルマニウムが含まれれている
・つまり、石炭中のゲルマニウムは、もとの植物が持っていたもの、すなわち一次的に存在したのであると判断
・ゲルマニウムは植物の生長に必要な存在
・土壌中の金属元素は」植物に吸い上げられ、植物の生長に一役買い、動物は植物を通して金属元素を摂取する。そして、動物は排泄または死によってその金属元素を土壌に戻す
無機から有機にするという研究
ゲルマニウムを生化学的に活性を持った化合物にする
・浅井博士自らの体で人体実験
・ゲルマニウムは4本の手を持ち、そのうちの3本が1本ごとに酸素をつかみ、酸素はまたゲルマニウムとつながり美しい
・ゲルマニウムは体内に酸素をいちじるしく増大させる
・どうして酸素欠乏が人間に体で起こるのか?そして病気になるのか?なぜ酸性体質が良くないのか?
血液が酸性だということは、血液中に水素陽イオンが多いことを意味する。
水素イオンは好んで酸素と結合して水酸基を形成する。すると生体内における酸素は消費され体内に酸素欠乏が起こる
・酸素欠乏を起こすものとして、分子の手が余っているいわゆる不飽和の状態にある分子をもった物質を摂ることがあげられる。これは、体内で酸素と結合してオキソニウム化合物をつくり酸素を減らしてしまう
・自然の世界は、常に不飽和という不安定から飽和という安定に向かい、そこではじめて存在を定着させる。だから、植物の場合でも自然のものには不飽和の状態にある分子が少ないが、人工によるものには多い
・浅井博士は、発がん性物質とは、体内で不飽和状態にある分子の手が、酸素を奪って、オキソニウム化合物をつくる物質を指すと定義
・酸素欠乏を起こすものはまだある。「精神」である
精神的にストレスが加わる(不安定な精神状態におかれる)と、ホルモン(とくに副腎)の分泌にアンバランスが起こって、血液を酸性にし、ひいては酸素欠乏環境が生じて病気になる
・とにかく、健康にとって一番肝要なことは、体質的に酸素欠乏を招かぬようにすること
続きはまた今度
ゲルマニウム
とても興味深いゲルマニウムについて、かいつまんで書いてみようと思いますが、興味のある方は、ぜひ浅井一彦先生の「驚異の元素 ゲルマニウムと私 」等をお読みいただければと思います。
著書からかいつまんで抜粋すると、
・ゲルマニウムは生体内で酸素をものすごく豊富にしてくれる
・万病の原因は酸素欠乏に起因する
・有機ゲルマニウム化合物は、身体内の酸素を豊富にし、有害汚染物質を体外に追い出すか分解して無毒化してくれる
有機ゲルマニウム化合物がいかに生まれたかは、浅井一彦先生の人生を知っていた方がいいと思います。
・東京帝国大学を昭和7年に卒業 高等文官試験で外交官試験に合格するが、外務省の係官が官報の合格者名簿に浅井氏の名前を載せないというミスのせいで外交官任命されなかったが、パスポートは外交官として発行されたディプロマの印字のあるパスポートだった!
・大倉組に入社し、商事部からドイツ駐在員としてベルリンに派遣される(昭和9年)
・ベルリンで強度の神経衰弱になるが、ドイツ青年に連れられて行った炭鉱採掘現場の「人間が自然と一体になってうごめいている」という光景を格別なものと感じ、ベルリンに帰り、今までの生活を変え、石炭についての勉強に専念する
(それから十数年後に、石炭中から原子番号32のゲルマニウムを抽出して、世界中から喝采を浴びる)
・ベルリンの工科大学を狙うが、旧制国立高等学校では文科、大学では法科だったため、入学資格はないと悲観していたが、当時は日独で文化協定が結ばれており、そこには文科系理系の区別がなかったので許可され、工科大学に入学。鉱山治金を専攻。
・3年で15単位をとり一年の実習をすませ、あとは最後の仕上げの段階に入ったところで、ヒトラー総統がソ連侵攻を開始したので、ドイツ人の妻と子供達を疎開させ、一人でベルリンで仕上げに専念。(当時のベルリン生活は食糧不足と空襲による死の恐怖)
・英米軍の焼夷弾投下される中、火事にならないよう屋根の上で消火し路上に落下し、大腿骨骨折で気絶しドイツ陸軍病院に運ばれる。
この屋上での勇敢な働きぶりをつぶさに見ていた老将軍の報告が元でヒトラー総統からドイツ軍人にのみ与えられドイツ軍人としての最高の勲章(日本の金鵄金賞に相当)を与えられる。
当時のソ連駐在大使 佐藤尚武氏(戦後、第一回参議院議長 国際連合協会長)が月刊国連(昭和37年8月号)等に書かれた「ベルリン陥落後、モスコーの日本大使館での変わったできごと」にも浅井氏のことが書かれています
・東大出の法学士、戦前日産系の会社に入社し、播磨重工業の総裁、副総裁に見込まれ、石炭研究の為にドイツに派遣され、ベルリンの工科大学では石炭関係の有名な博士について石炭の表面を顕微鏡で研究する。(当時の日本では未知の研究方法)
・ベルリン陥落、ソ連軍によって収容されるのを逃れて家族のいる南ドイツを目指すも、途中でソ連軍に捕らえられゲーペーウーに連行される
ウクライナで活躍したスパイと証言され、ドレスデン郊外の死刑囚を入れる有名な監獄の独房に入れられるが、ドイツ語のわかるソ連人にやっと外交官パスポートを見せることができて、釈放される
・佐藤大使から「あの地下室から出て来た人は、君をもって最初とし最後であろう」と言われる
・妻子の生死を確かめるためにドイツに戻りたいと言うが、
「貴重な研究を身につけたひとだから早く日本に帰って国の為に働いてもらわねばならぬ」と大使…、翌日「…大使の名において一私事に関して、他国の元首にお願いの電報を打ったのはこれが初めてです。スイス、スウェーデン、ノルウェー、デンマークの元首宛に浅井家族救出保護の依頼をしました」
深々と頭を下げ、「日本に帰り日本の為に死力を尽くします」と誓い顔を上げると、大使は泣いていた
・モスクワをあとにした直後にソ連参戦により佐藤大使ご自身も抑留される。そして終戦。
・昭和20年7月26日、グラマン機2機に追いかけられ、九死に一生をえて、命からがら羽田に着いた。東京中が焼け野原。
不可解だが「何かやってみせるぞ」という気概がからだに満ち溢れていた
◎昭和18年、ハンブルグの占い師のジプシーの男性に「日本はどうなるのか?日本の勝敗はいかに?」と占ったもらうと
「アメリカもソ連も今度どんどん力を増して他国を寄せ付けない強大国になるが、日本も途方もない繁栄した国になり、未来は太陽の昇るがごとく、世界に冠たるたる地位つき世界人類に貢献するだろう」と言われていた
・ドイツに残した妻子は、国際赤十字を通じ東ドイツの田舎に生存していることがわかり、ドイツに赴いて救出しようと決心。占領軍から出国許可をとろうとマッカーサー元帥を訪ねるが会えず、腹心の少佐に会うことができ、三日後には出国査証を発行するよう外務省に指示が出る。
・出航をまちながら3か月たった時にスイス赤十字から長文の電報
妻子は無事スイスで救出され日本に向かった。
そして、再会。
終戦の直前、モスクワの大使館で大使が大使の名で、スイスその他の中立国に救出を打電して暮れていたのが実った
ゲルマニウムの研究は、
・大化学会社の研究所に一室を使わせてもらって、私財を投じて東大生7人と研究し、日本の石炭の中にゲルマニウムを発見
・立ち退きを迫られ、佐藤元大使に窮状を訴えると東京電力の菅禮之助氏を訪れ相談
菅禮之助氏の太っ腹で3年後には立派な研究所を作ってもらった
ここまでが「第一章 私とゲルマニウム」
浅井氏の人生はスゴイです。こんなメモじゃ伝わらない。著書でちゃんと読んでいただきたいです。
やけどとゲルマニウム
18日に火傷しましたが、順調に回復しています。
ちょうど、家族の体の解毒にと思い、アサイゲルマニウムを注文していたので、良かったかもです。
今まで色々と体に良いものは色々試していて、世の中に良いものは沢山あるなぁと思います。
何を選ぶかは、その時々で縁があったり、その時に一番良さそうだとピンときたり、体調とお財布のバランスをとったり、注文しやすかったり…様々です。物質だけではなく…。
今回は「ゲルマニウム」がピッタリだったみたいです。長くなりますけど、順を追って書きますね。
事のはじめは12月後半…(本当は10年以上前?)、家族の背中に膿のような、直径2cmくらいの範囲で体内の悪い物がどんどん出てきました。
その膿みたいなものは、3~4年前にも出て来て、その時は何か体に良いものを飲んで、アクアーリオと馬油で手当して、ある程度経ったら押しピンみたいにポロっと悪いのが取れて、傷もきれいに塞がって、その時は事なきを得たのですが、背中に奥に違和感がずっとあるそうでした。
原因は、(想像ですが)10年位前の医療ミスにありそうな気がします。(長くなりますが、書いておきますね。)
かかりつけの病院である病気を見つけてもらって、手術は紹介してもらった別の病院ですることになり、初めの頸椎の手術は成功し、2か月後くらいに、予防の為に背中も手術したのですが、その2回目の手術が失敗して、左足が完全に麻痺してしまいこんにゃくの様になって歩けなくなったのです。術後に一度は自分で歩いてトイレに行けたのに、夜中に急変して。徐々に髄液が漏れて神経を圧迫して完全にマヒしてしまいました。そうならないためにした予防の為の手術で寝たきりにされてしまいました。
その失敗の執刀医は後でわかったのですが、見たこともない人でした。手術前になんの説明もなく、いつもの婦長さんは休みで、それまで見たこともない美しい副婦長さんが、手術室に連れて行ってしまいました。
おかしいな、なんで事前に説明がないの?
2時間くらいの予定なのに、執刀しているはずの医者が、鼻歌を歌いながら手術室に入っていくのを見たとき、いったい誰が手術をしているのか?
美しい副婦長さんが、予定時間は過ぎましたが順調ですと途中で言いに来たのも不自然でしたね。
予定の倍くらいかかって手術が終わり、別の看護婦さんに誰が執刀したのかと聞くと、動揺して慌ててカルテをめくる仕草をしました。聞かなくても見たこともない医師の名前がベッドに書いてありましたけど。
若い医師に練習させたのね、と思いました。ならば、主治医も横についていればいいのに。鼻歌歌いながら入っていくまで、どこにいたのでしょうかね?
麻酔が切れて、自分でトイレに行ったのを確認して家に帰りました。すると朝方に急変したと連絡が。
病室に入ると、左足首がこんにゃくのようになっていました。くにゃくにゃしてピクリともしない。
それから、本来は執刀するはずだった医師も、執刀した若い医師(今は出世していくつも兼任しているようですが)も、私にはなんの説明もせず知らん顔。
その後は、失敗手術にいっさい関係なかった医師がそれはそれは一生懸命してくださいました。その後、その先生が2回やり直しの手術(半月で計3回の手術)をしてくださり、その間私も良いと思うことは何でもやりました。靴が良いところに連れて行ってくれると聞けばすべての靴を修理、磨きに出し、悪い気が無くなるよう家中を掃除したり、和気清麻呂公の足が立つようになった神社にお参りに行ったり、ヒーラーに遠隔治療をお願いしたり…
すると3回目(やり直し2回目)の手術の時に、とても美しい鐘のような音がして、ああ、たぶんこれで大丈夫かもと思いました。術後に親指がピクリと動いた時はやっぱり大丈夫だと思いました。
その間、やり直しの手術(1回目)のあと、失敗した医師が悪びれもせず、しかも他の先生がした手術の後の抜糸を勝手にして、また急変した時は…。。。。その医師を二度と関わらないように病院に言って、「なぜ、足が麻痺したのか?」「髄液が漏れて神経を圧迫したからです」 「なぜ髄液が漏れたのか?」「手術で」と別の医師に言わせました。
やり直ししてくださった医師や看護婦さんたちが良かったし、とにかく良いと思うことをなんでもやろうと思ったら、救いの手が降りて来たみたいでした。
やり直し2回目の手術(計3回目)の後、奇跡のように親指がピクりと動きました。
そこからはトントン拍子で、やり直ししてくださった先生が、とても良いハビリ病院に転院させてくださり、車椅子からキャスター、4本杖、1本杖になり、旅行にも行けるようになったのです。
しかし、数年が経っておそらく老廃物がたまりまくって出て来たような、悪い形相の膿が出て来て、一度はおさまったけれど、昨年の12月に再び出てきました。(だんだん杖をついて歩くのも不安定になってきています。)
前回と同じようにして、傷が塞がったあたりから、背中に湿疹が出て来て、赤味や痒み尋常じゃない状態が続いて、病院に行くように何度言っても、「絶対に嫌だ」と言うのです。それもそうだと思い途方に暮れかけていたら、久しぶりあった信頼出来る方から、気功の先生を紹介していただきました。週2回遠隔で10回1コースの第一回目から、驚くほど回復に向かいました。酷かったので2コース全20回やっていただきました。
気功だけでなく、アクアーリオと柿の葉エキスを浸したコットンでパッティングしたり、お風呂に柿の葉エキスとまこもを入れたり、体にいいものを飲んだりもしました。
ほんとに劇的に回復して皮膚も殆ど綺麗になってきて、あと少しというところでしたが、あとは体の中の悪い物を出すことをやってみようと、とりあえず、気功は中断して様子をみることにしました。
気も重要だけれども、物質としての毒を出すのも大切かと思ったのです。なんとなく。
それで、解毒に良いのは何かないかと思っていたら、10数年前に買っていた「ゲルマニウムと私」という本を思い出して、熟読して、これはいいと思いHP見て電話しました。どれにしようか迷ったので聞きたくて。
試供品を送っていただいて、一番ゲルマニウムが多いアサイゲルマSを飲んで、水溶液のアサイゲルマウォーターは皮膚に付ける用にしようと思い購入しましたが、一緒に飲む方が良さそうです。とりあえず1本しか買ってないので、やけどの回復具合とバランスをとってみます。
私の火傷はもう一つの方に書いていますが、傷みもなく順調に回復中です。こんなに早く実感するとは。。。家族の為に購入したので、まだ先で具合が悪い時に飲もうと思っていましたから。
家族の背中も良くなっている気がします。まだ1週間くらいなので、奥の方の悪いものがなくなっているのが、皮膚の表面からわかりにくいですけど、なんとなく見た目も違います。写真もずっと撮っていますが、見るだけで痒くなりそうだから貼るのをやめときます。
今度はゲルマニウムのことはもう少し書こうと思います。では。
富士=普字の巻 第九帖
ひふみ神示より
【 富士=普字の巻 第九帖
神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(ツチ)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中(チウ)界の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分かれてゐるぞ。
今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。
この世は人間にまかしてゐるのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐわかる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まっている臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。
いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に通ずることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出てくるのぞ、
神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。
八月の十八日、(〇の中にゝ)の一二(〇の中にゝ)。】
富士=普字の巻 第八帖
ひふみ神示より
【 富士=普字の巻 第八帖
山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらふことと申してあろが、神々まつりは合はすことぞ、皆何もかも祭りあった姿が神の姿、神の心ぞ。
みなまつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ。これが神国の姿ぞ、物足らぬ物足らぬと臣民泣いてゐるが、足らぬのでないぞ、足らぬと思ふてゐるが、余ってゐるのではないか、上(カミ)の役人どの、まづ神祀れ、神祀りて神心となりて神の政治せよ、戦などは何でもなくなる鳧ケリがつくぞ。
八月十七日、(〇の中にゝ)の一二のか三。】