ひふみ神示 第一巻上つ巻 第十八帖

ひふみ神示より

【 第十八帖

 岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。

一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ。

シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ。身魂みがき第一ぞ。

この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、どんなえらい人でも分からん神の道ざからよくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、何でも分からんこと無いやうに、この神示で知らせて置くから、この神示よく読めと申すのぞ。

この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民早くせねば間に合はんぞ。

岩戸開くまでに、また一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。

臣民の心の鏡凹んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善い事致して居らん、これで世が治まると思ふてか、あまりと申せばあまりぞ。

神は今まで見て見んふりいてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積もりでゐて呉れよ。

神の申すこと、ちっともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばから、それで苦しんでゐるのざ。

早う身魂洗濯せよ。何事もハッキリと映るぞ。

    六月二十六日 ひつくのかみ。       】

 

 

 岩戸しめ のことは、【ひふみ新世紀】第一章 「神の復活」に詳しく載っています。抜粋しまとめててみますね。

1.「岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ。…」

2.「次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ。ダマシタ岩戸からはだました神が尾でましぞと知らせてあろう。いよいよとなってまことの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近うなって来たぞ。」

3.「次の岩戸しめは素戔嗚命に総ての罪をきせてネの国に追いやった時であるぞ、素戔嗚命は天下(あめがした)を冶しめす御役の神であるぞ。……命をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ。…アラブル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、勘違いしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素戔嗚の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、…」

4.「神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道はなき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩としめの一つであるぞ。」

5.「仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔がわたりて来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。」

 

 「比の神示声立てて読みて下されと申してあろうがな、人間ばかりに聞かすのでないぞ。守護神殿、神々様にも聞かすのぞ、声だして読みてさへおればよくなるのざぞよ。」