「悲しみは、聴いてくれる人がいて初めて悲しめる」

 先日、ある先生の講演に行きました。今までブログに一度も書いていない系統の講習会です。(7~8年前から年に1~2回はその先生のお話を聞く機会があります。)

 

 「悲しみは、聴いてくれる人がいて初めて悲しめる」

という言葉が印象に残りました。

 

 

 昨今、ニュース等をみるにつけ思うところがあったので、色々な方から伺ったことを少し書こうと思います。

 「死にたい」と言った少女達を次々に手にかけた犯人は「少女は死にたかったわけじゃなかった」という事を言っているとか。

「死にたい」は「死にたいほど辛い。苦しい」という気持ちをわかって欲しかったのでしょうか。

 息は吐いてから吸います。

 誰かに辛さ、苦しみを語る(吐く)と、スキマが出来て、(吸う)ことが出来るようになるのかもしれません。

「答えは、自分の中にある」そうです。語ることで自分が今出来そうな事に気づくのかもしれません。

 もし、言えない。身近な人に言いたくない、言っても理解してもらえないと思っているのなら、

「自分の価値感を横に置いて」聴く訓練を受けている専門家や、そう出来るよう努力している方々に話す ということもいいのではないでしょうか。

 

では。