ひふみ神示 富士=普字の巻 第二十五帖

  ひふみ神示より

 【第二十五帖

 世界の臣民はみなこの方の臣民であるから、殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬようになされよ、神疑ふと気の毒出来るぞ。

 いよいよとなりたら、どこの国に臣民といふことないぞ、大神様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢやとて容赦出来んから、気つけてゐるのざぞ、大難を小難にまつりかへたいと思へども、今のやり方は、まるで逆様ざから、何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。 

 外国から早く分かりて、外国にこの方祀ると申す臣民沢山出来る様になりて来るぞ。それでは神の国の臣民申し訳ないであろうがな、山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、神の国の山川ばかりではないぞ、この方世界の神ぞと申してあろうがな。

 裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、いよいよとなりたら、苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。

 凡てをてんし様に献げよと申す事、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんしに捧げなならんのざぞ。

        八月の三十日、〇(の中にゝ)のひつ九のか三 】