天つ巻 第六帖~十二帖

天つ巻 第六帖

ひふみ神示より

  第六帖

 天(あめ)は天の神、国は国の神が治(し)らすのであるぞ、お手伝いはあるなれど。秋の空のすがすがしさが、グレンと変えるぞ、地獄に住むもの地獄がよいぞ、天国ざぞ、逆様はもう長うはつづかんぞ、無理通らぬ時世が来たぞ、いざとなりたら残らずの活神(いきがみ)様、御総出ざぞ。おもうしt

       九月の一日、ひつくのか三。

  第七帖

 二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二本のお足であんよせよ、二本のお手手で働けよ、日本の神の御仕組、いつも二本となりてるぞ、一本足の案山子さん、今更何うにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、云ふこと最早分かったら、神が与えた二本足、日本のお土に立ちて見よ、二本のお手手打ち打ちて、神おろがめよあめつちに、響くまこのの柏手に、日本の国は晴れるぞよ、二二は晴れたり日本晴れ、二二は晴れたり、岩戸あけたり。

      九月一日ひつ九のか三。

   第八帖

 あらしの中の捨小舟と申してあるが、今その通りとなりて居ろうがな、何うすることも出来まいがな、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、神はそれを待ってゐるのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらはれるぞ。光現はれると道ハッキリと判りて来るのぞ、この方にだまされたと思うて、言ふ通りにして見なされ、自分でもビックリする様に結構が出来てるのにビックリするぞ。富士の御山に腰かけて、この方世界中まもるぞ。かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。天から人が降りる、人が天に昇こと、昇り降りで忙しくなるぞ。てんし様御遷り願ふ時近づいて来たぞよ。奥山に紅葉あるうちにと思へども、いつまで紅葉ないぞ。

      九月の二日、ひつく〇(ゝ)。

 

   第九帖

 ひふみの秘密出てひらきなる、早く道展き成る、世ことどとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づ」はじめ。

     九月二日、ひつぐのかみ。


   第十帖

 一二三の裏に〇一二、三四五の裏に二三四、五六七の裏に四五六の御用あるぞ。五六七すんだら七八九ぞ、七八九の裏には六七八あるぞ、八九十の御用あるぞ。だんだんに知らすから、これまでの神示(ふで)よく心に入れて、ジッとして置いて呉れよ。
   
     九月の三日、ひつ九のか三。


   第十一帖

 この神示言波としてよみて呉れよ、神神様にもきかせて呉れよ、守護神どのにも聞かせて呉れよ、守護神どのの改心まだまだであるぞ、一日が一年になり、百年になると目が廻りて真底からの改心でないとお役に立たんことになりて来るぞ。

     九月四日、一二(ひつぐ)か三。


   第十二帖

 遠くて近きは男女だけではないぞ、神と人、天と地、親と子、喰べる物も遠くて近いがよいのざぞ、カミそまつにすればカミに泣くぞ、土尊べば土が救って呉れるのぞ、尊ぶこと今の臣民忘れてゐるぞ、神ばかり尊んでも何にもならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、敵尊べば敵が敵でなくなるのぞ、この道理分かりたか。臣民には同じ分霊(わけみたま)さづけてあるのざから、みがけば神になるのぞ。神示は謄写よいぞ、初めは五十八、次は三百四十三ぞ、よいな。

     八月の五日、ひつくのか三。

 

ひとりごと (興味深い動画も)

 ずっといくつかのことを書こうと思いつつ、なかなかしっくりくる表現が浮かばなかったので躊躇していましたら、興味深い動画の後半にしっくりくることがありました。

 

 書こうとしていたものの一つは…

私は、色々なかたちで情報が入ってきても、そうかも知れないけどわからないから頭や心の片隅に置いておいて、時期が来たら(腑に落ちたら)、とりあえず「今のところは」確定。けれど、状況が変わったりまた様々な情報が加わったりすることもあるし、常に「今は」「かもしれない」「自分にとっては」というスタンスなのです。他人のバイアスがかかったものはなるべく排除して、常に自分の目で見たもの 自分が直接聞いたもの 触れたもの を心で、感覚で決めるように心がけています。 身近なものから社会的なことまで。。。

 その場にいない人のことを悪く思わせるよう上手に印象操作する人も苦手ですね。

遭遇するとなるべく関わらないようにスーっと離れますが(熊や蜂に遭遇した時のように、静かに背中を見せずにそっと)、その手の苦手な人は押しも引きも強く巧みなのでかなり大変。 (今は幸い周りにその手の人がほぼいないのでいいのですけど。)

 

 で、細菌の世界の話を思い出すのです。

善玉菌 ひよりみ菌 悪玉菌 の割合が、2:6:2でバランスが取れているが、

善玉菌が多くなったら日和見菌が善玉菌になり、悪玉菌の方が増えれば日和見菌は悪玉菌になると昔聞きました。そして悪玉菌を排除して善玉菌と日和見菌だけにしても、またそこで悪玉菌が出来て、2:6:2の割合になると。。。。

 昔は、自分は人間の世界では善玉菌でいたい。日和見菌になりたくないしなれないって思った時期もありましたが、今は、日和見的な人のことも理解していますし、たぶん必要なのだろうと思っています。

 ただ、簡単に印象操作に引っかかる とまではいかなくても、他人に影響されすぎじゃないの?大丈夫?って。。。。

  まぁ、自分こそちゃんと判断しているのかって言われないよう気をつけますね。

 

 ということで、たまたま見つけたこの動画が興味深かったです(特に29分~)

 ATLASラジオ181:宇宙意識ハトホル降臨、助六寿司と椎茸が大好き https://youtu.be/JbcCAVuUR4k @YouTubeさんから

株主総会と一緒で51%でいい。

光だけを持っていけない。(オセロ グレースケール)

日和見菌も大事。

バランス

他いろいろ

 

追) 17分頃からゲートについての補足あり

ATLASラジオ176:スターゲート滅亡論を斬る!?アセンション は個ではない? https://youtu.be/GwapelrJwaU @YouTubeさんから

 

  

「抱きまいらせる」。。。。難しいですね。なんとなくこれ思い出しました。

 光の三原色は発光で見える色 

     赤と緑と青が全部混ざると明るくなりに近づいていく

 

 色の三原色は光が当たり反射して見える色 

     シアン・マゼンタ・イエローが全部混ざると暗くなりに近づいていく

 

 では。

 

 

 

 

ひふみ神示 天つ巻 第五帖

 ひふみ神示より

 

 【ひふみ神示 天つ巻 第五帖

 

 牛の喰ベ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。

臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、いよいよとなりて何でも喰べにばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分かれると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、獣の喰ひ物くふ時には一度神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大丈夫になるのぞ、何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分かりたであろがな、神に献げきらぬと獣になるのぞ、神がするのではないぞ、自分がなるのぞと申してあることも、よく分ったであろがな、くどう申すぞ。八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。

 

              八月三十一日、ひつくのか三。】

 

 ※ 「神に献げてから」とは、「ひふみよいむなや…」と、ひふみ祝詞を唱えながら噛んで、最後の「ん」で飲み込むのだと、ほかで出てきます。

そして、ここでは神に献げてから食べたらいいとありますが、後の方では獣の肉は食べるなとも出てきます。

 

 

ひふみ神示 天つ巻 第四帖

 ひふみ神示より

 【ひふみ神示 天つ巻 第四帖

 

 この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分かりて居れども、とどめの最後はわからんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。 

砂糖にたかる蟻となるなよ。百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建て直し分かるまいがな。火と水で岩戸開くぞ、智恵や学でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、さう云えば智恵や学は要らんと臣民早合点するが、智恵や学も要るのざぞ。悪も御用であるぞ、この道理よく腹に入れてくだされよ。天の神様地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、国々の神神様、うぶすな様、力ある神神様にも御苦労になっているのざぞ。天照皇太神宮様初め神神様、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、神も仏もキリストも元は一つぞよ。

   八月三十一日、ひつ九の(〇の中にゝ)。

ひふみ

 以前、ひふみ祝詞の唱え方(区切り方)を3 5 7音で区切ると紹介しましたが、

「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、たはくめかうおえに
さりへてのますあせゑほけれ」

 もありました。これは、熊本県・日の宮幣立神宮の御神体「日文石板」に「豊国文字」で書かれているそうですね。


「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、たはくめかうおえに
さりへてのますあせゑほけれ」

 コチラにありました↓

 【保存版】 地球史は日本から始まった : 世界の真実や報道されないニュースを探る ■地球なんでも鑑定団■ http://check.weblog.to/archives/8572771.html#Rhbu6sO.twitter_responsive

 

 幣立神宮…平成15年9月にやっと参拝できました。随分前から行きたい行きたいと思っていましたが、その頃は友人を誘っても誰も神社に興味がなくて…行けずに何年も経っていました。

 初参拝の2週間くらい前に、ツアーで幣立神宮の横をバスで通過した時に、絶対に次の休日に一人ででも行くって決めたのです。その時のツアーで天の岩戸神社に参拝し御朱印帳を始めて…。。。懐かしいです。

 8月23日の大祭にも何度か参拝しました。宮司さんに拝殿に上げて頂いてお話しを伺ったり…原点かなぁ。

 

 ペトログラフといえば、川棚温泉のたかせ本館にあったような記憶があるのですが…検索しても出てこないので勘違いかも。。。

 あ、角島にはあるそうですね。何回か角島大橋に行ったけど…時間も無かったし知らなかったから。。。。残念。

 

 では。

 

ひふみ神示第四巻 天つ巻 第一帖~第三帖

 ひふみ神示より

  【天の巻 第一帖

 二二は晴れたり日本晴れ、二二に御社してこの世治めるぞ。

五大州ひっくり返りてゐるのが神には気に入らんぞ。一の大神様まつれ、二の大神様まつれよ、三の大神様まつれよ、天の五三体の大神様、地の御三体の大神様まつれよ、天から神神様御降りなされるぞ、地から御神神様おのぼりなされるぞ、天の御神、地の御神、手をとりてうれしうれしの御歌うたはれるぞ。〇(の中にゝ)の国は神の国、神の肉体ぞ、汚してはならんとこぞ。

              八月の三十一日、一二のか三。

 

   第二帖

 これまでの改造は膏薬張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文(フミ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界ののみでなく神界も引つくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらにござる守護神さまには分らんのぞ、九分九厘までは出来るなれど、ここといふところで、オジャンになるであろうがな、富や金(キン)を返したばかりでは、今度は役に立たんぞ、戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神神様にも分かりては居らんのざぞ、星の国、星の臣民今はえらい気張り様で」、世界構うやうに申してゐるが、欲しではダメだぞ、神の御力でないと何も出来はせんぞ、八月三十一日、一二〇(の中にゝ)。

 

  第三帖

 一日のひのまにも天地引繰り返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ、九、十に気付けと、くどう申してあろうがな、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ、ちがふことならこんなにくどうは申さんぞ、同じことばかり繰り返すと臣民申して居るが、この方の申すことみなちがってゐることばかりぞ、同じこと申していると思ふのは、身魂曇りてゐる証拠ぞ。改心第一ぞ。             八月三十一日、一二〇(の中にゝ)。

ひふみ神示 富士=普字の巻 第二十六帖

ひふみ神示より

 【富士=普字の巻 第二十六帖

 

 戦は一度おさまる様に見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、向ふの悪神は今度は〇(の中にゝ)元の神を根こそぎに無きものにして仕まふ計画であるから、その積りでフンドシ締めて呉れよ、誰も知れんやうに悪の仕組みしてゐること、神にはよく分かりてゐるから心配ないなれど、臣民助けたいから、神はじっとこれへてゐるのざぞ、八月の三十日、〇(の中にゝ)のひつ九の〇(の中にゝ)。

 

  第二十七帖

 神の堪忍袋切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引っ繰り返ると申してあるが、これからはその場でひっくり返る様になるぞ。誰もよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、神には何も彼も分かりてゐるのざと申してあろうがな、早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。

江戸と申すは東京ばかりでないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより外やり方ないと神々様申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬようなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。

八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、これでこの方の神示の終わりぞ。この神示は富士(二二)の巻として一つに纏めておいて下されよ、今に」宝となるのざぞ。

   八月の三十日、〇(の中にゝ)のひつ九〇(の中にゝ)。

 

                       (富士の巻了)】