神社仏閣 いろいろ

神社仏閣 奈良・岡山以外 を移動しました。

 

2017.10.5 愛媛県今治大三島大山祇神社

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ずっと行きたかった今治大山祇神社

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推定樹齢2600年 の小千命(おちのみこと)御手植えの楠

 

今回、時間があまりなく、とても多い摂社末社にも参拝し、国宝館にも行きたかったので、写真をあまり撮ってなかったです。

国宝館、紫陽殿はザーっと見ましたが、海事博物館は残念ながらあきらめました。

本は色々買いました。

 

一説では、こちらもニギハヤヒ様、瀬織津姫さまが祀られているとも言われていますね。数年のうちにはゆっくり参拝させていただきたいです。

 

2017.7  え?鳩森八幡神社

「将棋ファンが多く訪れる東京・千駄ヶ谷鳩森八幡神社の”王手守”…藤井四段も…」ん? TVを聞き流していたら「鳩森八幡神社」の名が。ひょんなところで知っている名前が出るとちょっとビックリします。^^

 

鳩森八幡神社といえば、あの岡本天明氏が戦時中に留守神主をしておられた神社です。

岡本天明伝」によると、留守神主となった経緯は、

 ・代々木八幡神社の近くに住んでいた天明は、代々木八幡の平岩満雄宮司と懇意だった。

 ・その満雄宮司は鳩森八幡の矢島家の長男として生まれた。(旗本から神職になった家系)

 ・先代の宮司が亡くなった時、平岩氏は十四歳だった為、姉が養子を迎え矢島家を継ぐ。

 ・満雄氏は代々木八幡の平岩家へ養子に入る。

 ・戦争が始まり、鳩森八幡には諸事情で男手がいなくなったので、神職の心得のある天明に白羽の矢が立った。

そうです。

 

鳩森八幡宮富士塚は、最古の富士塚 だそうですね。ちゃんと浅間神社富士塚の頂上には、木花咲耶姫が祀られている奥宮もあるそうです。浅間神社ご朱印もいただけるそうですね。

 

因みに、

天明が初めに祀った富士山は、鳩森八幡神社富士塚一の宮)で、自ら富士塚を造ったのは昭和20(1945)年6月の玉川学園の「奥山」に造った富士塚だ。」だそうです。

 

なにはともあれ、鳩森八幡神社もなにか不思議な力があるようですね。龍脈が通っているとか? 

行ってみたいけど、残念ながらしばらく東京に行く予定はないです。

 

 

追記)

岡本天明伝」をもう一度ササッと読んで、一部をまとめてみました。

 

岡本天明氏は、毎日のように噴出(自動書記)する「ふで(神示)」が、漢数字ばかりで読めないので、鳩森八幡の社務所に放置していた。

・同僚の鳩森八幡の禰宜・法元氏が「ふで」を気に入り奇麗に筆写して三方に納めて保存していたので、当初の神示が散逸しなかった。。ただし、「上つ巻」は原本が紛失したが、法元氏が写本を作っていたので今に伝わっている。

天明氏が奉職していた鳩森八幡には江戸時代の富士講が造った富士塚があった。富士塚から「御土米」が出ると神示があったので、半信半疑で天明富士塚を探してみると、本当に御土米が出た。

※御土米とは、米の形をした粘土質の土塊で、古来、大和三山畝傍山で取れる霊物だそうです。

・神示に出てくる「お山」とは富士山を模した鳩森八幡神社富士塚を指す。(一ノ宮)

 

とこんな感じです。

今、注目を浴びてきた「鳩森八幡神社」が、日月神示で重要な場所の一つというのも興味深いです。

やっぱり行きたいなぁ。年内に行きたいなぁ~。

 

 

2017.4.22 和気清麻呂公の 妙見宮(御祖神社) 八重桜とツツジ

f:id:amenohitsuki:20170422013448j:plain 八重桜も雲ももくもく

妙見宮(御祖神社)。今年は枝垂桜には間に合いませんでしたが、八重桜とツツジは綺麗でした。

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道鏡が起こした宇佐八幡宮神託事件国難を救った和気清麻呂公の4男磐梨妙運によって創建された妙見宮(みおや神社)の主祭神は 天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神造化三神。 (大阪のサムハラ神社の祭神も同じく 天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神

和気清麻呂公の銅像皇居外苑 大手濠の中ほどにもあります。皇居周辺に銅像が建っているのは物凄い国難を救った和気清麻呂公と、楠木正成公(楠公)だけです。

 

由緒と歴史 | 足立山妙見宮-御祖神社

myouken.or.jp/page-62/より 部分的に引用
 

西暦769年

称徳天皇神護景雲三年(西暦769年)太政大臣法王弓削氏道鏡皇位につくのが相応しいというお告げが出た。
それに疑問をもった朝廷が和気清麻呂(以下、公)に勅命をだし、神のお告げが本当であるかを確かめる為、宇佐神宮へ行くよう命じた。 
その結果、「道鏡は、皇位に相応しくない」というお告げが出た事を朝廷に報告すると、それに怒った道鏡は、公を鹿児島に追放しようとした。
その途中、豊前のすわえ田村に漂着した公は、道鏡の追っ手から足の筋を切られるが、数百頭の猪が公を助け、再度、宇佐神宮に詣り神告を受けた。
その神告に従い公は、現在の小倉北区湯川にあった霊泉につかると、たちどころに足の傷が治った。
そこで、公は、近くの立山に登り、造化神北辰尊星妙見に天皇の安泰と反逆者がいなくなることを祈った。

すると、造化の天神が現れ『汝の願い聴きいる』という神託をうけた。

770年

光仁天皇が即位し、天皇家は、安泰となった。
また、道鏡は、下野国に流され、公は、平城の京に呼び戻された。
公は、四男磐梨為綱(出家して妙運)を造化天神降臨の地、足立山に送り、足立山妙見宮を創建した。

947年 村上天皇の勅願所となった。

1520年頃

後柏原天皇より「うら菊」の紋章を授かる。
この紋章は、全国神社の紋章としては妙見宮だけのもの。この紋章は和気氏の流れ、和気明親が後柏原天皇(1501~1526)から、和気氏の家紋として頂いた物である。従って和気氏と同じ流れの妙見宮の杜家が、これを神社の紋章として使用した物である。

1601年

下宮を現在の場所に移した。
細川忠興が、眼病平癒を祈願し、この成就により妙見宮下宮を現地に移して鎮祭した。 その際、日向から取り寄せた松を植樹している。

 

ねずきちさんのひとりごと さんが宇佐八幡宮神託事件のことを詳しく書かれていますのでどうぞ。

和気清麻呂 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2441.html

 

 

 

2017.4.29  阿蘇・高千穂の神社

朝、旅番組で天岩戸神社が出ていたので、今回は阿蘇・高千穂の神社のことを。

平成15年に天岩戸神社に参拝。ご朱印巡りが始まりました。その道中、ツアー観光バスは高天原日の宮・幣立神宮熊本県蘇陽町)を通り過ぎて高千穂へ向いました。かなり前から幣立神宮に行きたい行きたいと思いつつ何年も行けなかったので、その時に「次の休みに絶対に行こう」と決めました。そこから何かが本格始動し始めたような気がします。

それから幣立神宮には何度か参拝しました。初回は偶然手水舎で御夫婦と一緒になって、「ご縁ですから、一緒に正式参拝しましょう」と誘っていただき、宮司さんにいろいろお話を伺いました。「神社は願い事をするとことではない。幣を立てる(己の決心を神様に約束?伝える?ところだ。」というお言葉をいただきました。昔、友達から「神社でお願いしない。ありがとうございますだけにしている」と聞いて、本当にそうだなぁと思って以来ずっと自分の事をお願いしたことは殆どなく、「ありがとうございます」だけでしたが、「幣を立てる」ことも肝に銘じました。それからも参拝する度に偶然宮司さんがおられて、「まあ上がんなさい」と本殿に上げていただき、その時その時に大事なことをぽつりぽつりおっしゃってくださいました。懐かしい。

しばらくは阿蘇・高千穂方面の神社参拝が中心でしたが、次はツアーでも個人でも出雲大社など出雲の神社への参拝が中心になり、そのおかげか出雲大社平成の大遷宮」で案内をいただき「本殿遷座奉祝祭」に参列させていただくことが出来ました。2011年からは、奈良の大神神社「三卯大祭」の日に偶然参拝してからは、奈良の神社中心になりまして、春日大社の式年造替も一段落ですし…、なんだか今年からは別の地域に移行していくような気分です。前々から気になって行きたかった所がありますのでそちらに行きます。

ということで、阿蘇・高千穂の神社。

天岩戸神社高千穂神社槵觸(くしふる)神社荒立(あらたて)神社秋元神社阿蘇神社に行きました。(他にもあるかも。。。)

 

槵觸神社

天孫降臨の地、相撲のルーツと言われていますね。桜井市穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社境内の相撲神社や、出雲も稲佐浜で力比べをした建御名方神と建御雷神が古事記に登場してたり、いずれにせよ相撲は神事ですね。

 

荒立神社

御祭神 猿田彦命(さるたひこのみこと)天鈿女命(あめのうずめのみこと)

御利益 夫婦円満、縁結び、所願成就、
    猿田彦命は交通安全、教育の神
    天鈿女命は歌や舞、芸能の神

 

猿田彦命と天鈿女命が国際結婚され住まわれた神社だとか。縁結びと芸能の神さまとして有名で、芸能人が大勢参拝されています。(氷川きよしさんや、ジュピターの方とか色々)

当時、知り合いの知り合いが、「相談(か占いか瞑想か何か)には予約」するようにと言われましたが、別段相談することもないし、到着時間もわからないので予約なしで参拝し、ご朱印をお願いしたところ、ちょうどその時間に「予約されていた方が1時間くらい遅れると連絡があったから上がんなさい」と宮司さんが。

ご神体の猿田彦命と天鈿女命の像のすぐ近くでに上げていただいて、宮司さんが色々とお話をしてくださいました。その時に、「古武道を習いに来ないか?」とありがたいけれど、遠いのでとお断りすると、「〇(お椀くらいの円)の中に入るようイメージしなさい。」と聞き、しばらくやってはみましたが無理でした。。運動神経の無い私に運動、まして武道は無理だと思いましたが、それからずっと頭の片隅にありました。懐かしい。

 

秋元神社

御祭神は、日本の国土と言われている国常立尊(くにとこたちのみこと)、・国挟土尊(くにさづちのみこと)、・豊斟淳尊(とよくむぬのみこと)

知る人ぞ知る聖地。今は「御神水コース」に入っているようです。当時はまるで孫悟空でも出てくるような秘境のような山道でしたが今はどうでしょう?

ご神体は岩山。お手水は秋元の深い山々から流れ落ちてきている山水で、昔から御神水として信仰されているそうです。

以前、この神社の建て替えの募金をさせて頂いたのです。知り合いからお話をいただきました。ご縁が無ければ出来なかったのであり難かったです。「神様は汚い(手段で得たような?)お金は受け取っていただけない」ような事を聞いたことがありまして…、こちらはとても重要な神社だとか。

 

有名どころは割愛しました。では。

 

★2016.9,20 ご朱印

f:id:amenohitsuki:20160920021414j:plain ご朱印

上の右端の天岩戸神社御朱印帳から始めました。初めの一冊は神社とお寺のご朱印を一緒にいただいています。

赤いご朱印帳は滋賀県大津市の「岩間寺」ぼけ封じで有名なお寺です。松尾芭蕉が「古池や蛙飛び込む水の音」の名句を詠み、俳風を確立したと伝えられているお寺でした。

緑は、「聖林寺(しょうりんじ)」国宝十一面観音さまも有名です。かつては三輪山・大御輪寺(三輪の大神神社の神宮寺のひとつ)の本尊でしたが、明治の神仏分離廃仏毀釈の嵐の中、この十一面観音像は大八車で運ばれ難を逃れたそうです。

白は昨日のブログでご紹介した「興福寺」の限定ご朱印帳です。

下の右は、「厳島神社」のご朱印帳。 名前を入れてくださったのは、隠岐の島の「水若酢神社」ご親切で品の良い宮司様。

真ん中と左の桜の綺麗なご朱印帳は「妙見宮(御祖神社)(妙見神社)」。道鏡事件で国難を救った和気清麻呂公が創建された神社で、足の神社、桜の名所として有名です。狛犬がイノシシなのも珍しいですね。

 

 

★2016.7,31 夏越祭(茅の輪くぐり神事)

 

 

 

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今日は夏越祭。 足立山妙見宮 御祖神社で茅の輪をくぐり、夏越袋を納め、昇殿参拝させていただきました。半年間に知らず知らずに溜まった穢れを祓っていただき、清々しい気持ちになりました。

因みに、こちらのご朱印帳は、桜でとても美しいです。

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