ひふみ神示 第十六帖

ひふみ神示より

「 第十六帖

 智恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより外に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。

 日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。

今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。

 神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。

 神の国ぞと口先きばかりで申してゐるが、心の内は幽界(がいこく)人沢山あるぞ。

 富士から流れ出た川には、それぞれの名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。 これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。

因縁の身魂には神から石与へえて守護神の名つけてやるぞ。

江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。

 てん四様を都に移さなならん時来たぞ。

江戸には人民住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。

 江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るようになるぞ。

 七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。  」

 

 

石といえば、

 受け継いだ我が家の神棚の鏡は大歳神社の名がありました。御先祖様の家の氏神様が大歳神社さんです。

何代も代替わりしましたし、受け継いだ時に丸い小さな石が神棚にあったのですが、なぜあるのかは分かりません。

不思議だと思いつつ大切にしております。

 

では。