ひふみ神示 富士=普字の巻 第十九帖

 ひふみ神示より

 【第十九帖

 神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞ、と口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、四つん這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。

一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂磨けた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒の世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろうがな、高い所から水流れるやうに時に従ひて呉れよ、いざといふときは神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民のあるのざぞ。

人間の戦いや獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。

   八月の二十六日、(〇の中にゝ)のひつくのかみ。】

 

 

 上からみるとお見通しなので、とにかく体と魂を磨くのが一番ということだそうです。(身魂磨きの初めには、膿が出るというか、一見良くないことが出てくるけれど、それは後から思えば、そのお陰でかえって良かったと感じると思います。膿が出てしまえば、嫌なことはそんなに起こらなくなるそうです。)

言葉と心と行いが一致するのも大事なことだそうです。

この立替え立て直しは、無くすことは無理みたいですが、最悪なレベルの大難から小難にしていただくにも、我々人類の心や生き方次第のようですね。

神様というか、上、創造主、サムシンググレート…色々な表現をされますが、哲学者、数学者だけでなく超一流の科学者は「どうも宇宙には意思があるらしい」に行きつくようです。

 奢らず謙虚に素直に正直に、そして明るくがいいみたいです。