ひふみ神示 富士=普字の巻 第二十一帖~第二十三帖

 ひふみ神示より

 【 第二十一帖

 神の申すこと何でも素直にきくやうになれば、神は何でも知らしてやるのぞ。

 配給のことでも統制のことも、わけなく出来るのぞ。臣民みな喜ぶやうに出来るのぞ、何もかも神に供へてからと申してあろがな、山にも川にも野(ぬ)にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、ここの道理よくわかわんか。

 神は知らしてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ、臣民神にすがれば、神にまつはれば、その日からよくなると申してあろがな、何も六ヶ敷いことでないぞ、神は無理言はんぞ、この神示読めば分かる様にしてあるのざから役員早う知らして縁ある臣民から知らして呉れよ。

 印刷出来んと申せば何もしないで居るが、印刷せいでも知らすこと出来るぞ、よく考へて見よ、今の臣民、学に囚へられて居ると、まだまだ苦しい事出来るぞ、理屈ではますます分からんやうになるぞ、早う神まつれよ、上も下も、上下揃えてまつりて呉れよ、てんし様にまつはれよ、その心が大和魂ぞ、益人のます心ぞ、ますとは弥栄のことぞ、神の御心ぞ、臣民の心も神の御心と同じことになって来るぞ、世界中一度に唸る時が近づいて来たぞよ。

 

   八月の二十八日、〇(の中にゝ)のひつ九のかみふで。

 

    第二十二帖

まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、まつり合はしさへすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分かりたか、祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分からんぞ。

 そんな我れよしでは神の臣民とは申せんぞ、早うまつりて呉れと申すこと、よくきき分けて呉れよ。

われがわれがと思ふてゐるのは、調和(まつり)てゐぬ証拠ぞ、鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。

 ここまでわけて申さばよく分かるであろう、何事も真通理(まつり)が第一ぞ。

 

  八月の二十九日、〇(の中にゝ)の一二〇(の中にゝ)。

 

  第二十三帖

 世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。臣民にはまだ分かるまいなれど、今に分かりて来るぞ、くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろうがな、学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。

 今あらはすと、助かる臣民殆どないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。 いよいよとなれば、分かっていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分かってゐるぞ。 

 因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分かるのぞ、神の御用する身魂は選りぬいて引張りて居るぞ、おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。

 北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、神だけの力では臣民気の毒出来るのぞ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心洗濯せよと申すことも分かるであろう。

 

     八月の三十日、〇(の中にゝ)の一二か三。  】