ひふみ神示 天つ巻 第二十三帖~第三十帖

 ひふみ神示より  

   天つ巻 

  第二十三帖

 我がなくてはならん、我があってはならず、よくこの神示(ふで)読めと申すのぞ。悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ、この道理分かりたらそれが善人だぞ。千人力の人が善人であるぞ、お人よしではならんぞ、それは善人ではないのざぞ、神の臣民ではないのざぞ。、雨の神どの風の神どのに特に御礼申せよ。
 
            八月の九日、一二〇(中にゝ)。

   第二十四帖

 今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りではないか、この世はおろか自分の身体のことさへ分かりて居らんのざぞ、それでこの世をもちて行く積りか、分からんと申しても余りでないか。神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分からんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分からんか、ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪のみたまぞ、そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ、臣民近欲(ちかよく)なからわからんのぞ、慾もなくてはならんのざぞ、取違ひと鼻高とが一番恐いのぞ。神は生まれ赤子のこころを喜ぶぞ、みがけば赤子となるのぞ、いよいよが来たぞ。

              九月十日、ひつ九のかみ。

 

  第二十五帖

 今に臣民何も言へなくなるのざぞ、神烈しくなるのざぞ、目あけて居れんことになるのざぞ。四ン這ひになりて這い廻らなならんことになるのざぞ、のたうち廻らなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、水くぐらなならんのざぞ。臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。

               九月十日、ひつくのか三。

 

  第二十六帖

 天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ。青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやるぞ。天明は神示(ふで)書かす御役であるぞ。
               九月十日、ひつ九〇(中にゝ)


   第二十七帖
 石物いふ時来るぞ、草物いふ時来るぞ。北おがめよ、北光るぞ、北よくなるぞ、夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、やはらかくなるぞ、五六七(みろく)の世となるぞ。慌てずに急いで呉れよ。神神様みなの産土様総活動でござるぞ、神神様まつりて呉れよ、人人様まつりて呉れよ、御礼申して呉れよ。
                九月十二日、十二か三。

 

  第二十八帖

 おそし早しはあるなれど、一度申してこと必ず出て来るのざぞ。臣民は近欲で疑ひ深いから、何もわからんから疑う者もあるなれど、この神示一分一厘ちがはんのざぞ。世界ならすのざぞ、神の世にするのざぞ、善一すじにするのざぞ、誰れ彼れの分けへだてないのざぞ。土から草木生れるぞ、草木から動物、虫けら生まれるぞ。上下ひっくり返るのざぞ。
              九月の十三日、ひつ九のか三。

 

  第二十九帖

 この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。
病あるかなきかは手廻して見れば直ぐわかるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐわかるであろうが。
臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろうが、今の国々のみ姿見よ。み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。 手は手の思う様に、足は足ぞ、これでは病なおらんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。 足地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。
尻に帆かけて飛ぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足汚れてゐると病になるぞ、足からお土の息が入るのざぞ、臍の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも跣足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざからあり難い仕組ざから喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足の裏殊に綺麗にせなならんぞ。神の申すやう素直に致されよ、この方病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。
戦も病の一つであるぞ、国の足うら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。
上の守護神どの、下の守護神どの、中に守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合わんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。
             九月十三日、一二〇(中にゝ)。

 

   第三十帖

 富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、今に分かりて来るのぞ。神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、分ければ分けるほど分からなくなって手におへんことになるぞ。手足は沢山は要らぬのざぞ。火垂(ひだり)の臣(おみ)と水極(みぎり)の臣とあればよいのざぞ。
ヤとワと申してあろうがな、その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。今の臣民自分で自分の首くくるやうにしてゐるのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部ではないぞ、この道理よく心得ておけよ。神示は印刷することならんぞ、この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。
一二三は印刷してようのざぞ。印刷結構ぞ。この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時によりその国によりてそれぞれに説いて聞かせよ。日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。善一すぢとは神一すぢのことぞ、この巻を「天つ巻」と申す、しっかり写して呉れよ、すっかり伝へて呉れよ。
            九月十四日、ひつ九のか三。(天つ巻了)