地つ巻 第八帖~十帖

   ひふみ神示より

 

  地つ巻 第八帖

 

 祓ひせよと申してあることは何もかも借銭なしにする事ぞ。借銭なしとは めぐりなくすることぞ、昔からの借銭は誰にもあるのざぞ、それはらってしまふまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。世界中借銭なし、何うしても大望であるぞ。今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、神主お祓ひの祝詞あげても何にもならんぞ、お祓ひ祝詞は宣るのぞ、今の神主宣ってないぞ、口先きばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち、しきまきや、くにつ罪みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。祝詞はよむものではないぞ、神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、それ丈では何にもならんぞ。宣(の)るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、皆心得ておけよ、神の事は神主に、仏のことは坊主にと申してゐること根本の大間違ひぞ。
           

           九月十九日、ひつ九〇(〇の中にゝ)。

 

   地つ巻 第九帖

 ひつくの神にひと時拝せよ、神のめぐみ身にも受けよ、からだ甦るぞ、神の光を着よ、み光をいただけよ、食べよ、神ほど結構なものないぞ、今の臣民日を」いただかぬから病になるのざぞ、神の子は日の子と申してあらうがな。

 

    九月二十日、ひつ九のか三。

 


   地つ巻 第十帖

 

 何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、方便と申すもの神の国には無いのざぞ。まことがことぞ、まの事ぞ、ことだまぞ。これまでは方便と申して逃げられたが、も早逃げること出来ないぞ、方便の人々早う心洗ひて呉れよ、方便の世は済みたのざぞ、いまでも仏の世と思うてゐるとびつくりがでるぞ、神の国、元の神がスッカリ現はれて富士の高嶺から天地(あめつち)へのりとするぞ、岩戸しめる御役になるなよ。

        九月の二十日、ひつ九のか三。