ひふみ神示 下つ巻第二十帖
ひふみ神示より
【 第二十帖
上、中、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。
神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。
臣民近慾なから、心曇りてゐるから分からんのぞ。
今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神神様にお目にかけるぞ。
てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。
いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分かるまい、百日を申しても神から云へば瞬きの間ぞ。
七月の二十三日、ひつ九の〇(〇の中にゝ)】
「てんし様」の表記は、「天詞さま」と出てくるところがあります。
ひふみ神示でも「ことば」が重要だと何度も出てきます。心と言葉と行いの三つが揃うことが大事だと。
ひふみ神示 下つ巻 第十八帖 第十九帖
ひふみ神示より
「 第十八帖
この道は神の道であり人の道であるぞ。
この道はの役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、だれかれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは検討とれんのも無理ないなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。
神の土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。
神に心向ければ、いくれでも神徳与へて何事も楽にしてやるぞ。
七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。
第十九帖
苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、
神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ。
生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから、そうならんやうに心の洗濯第一ぞと申して、くどう気附けてゐることまだ分からんか。
七月の二十三日、一二のか三。」
ひふみ神示 下つ巻 十七帖
ひふみ神示より
「 学や智恵では外国にかなうまいがな、神たよれば神の力出るぞ、
善いこと言へば善くなるし、わるきこと思へばわるくなる道理分からんか。
今の臣民口先きばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。
天明は神示書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。
一人で七人づつ道伝へて呉れよ、その御用が先ず初めの御用ぞ。
この神示通り伝へて呉れればよいのぞ、自分ごころで説くと間違ふぞ。
神示通りに知らして呉れよ。我を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、この道六ヶしいなれど、縁ある人は勇んで出来るぞ。
七月の二十一日、一二の〇(〇の中にゝ)
ひふみ神示 第十六帖
ひふみ神示より
「 第十六帖
智恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより外に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。
日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。
今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。
神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。
神の国ぞと口先きばかりで申してゐるが、心の内は幽界(がいこく)人沢山あるぞ。
富士から流れ出た川には、それぞれの名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。 これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。
因縁の身魂には神から石与へえて守護神の名つけてやるぞ。
江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。
てん四様を都に移さなならん時来たぞ。
江戸には人民住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。
江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るようになるぞ。
七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。 」
石といえば、
受け継いだ我が家の神棚の鏡は大歳神社の名がありました。御先祖様の家の氏神様が大歳神社さんです。
何代も代替わりしましたし、受け継いだ時に丸い小さな石が神棚にあったのですが、なぜあるのかは分かりません。
不思議だと思いつつ大切にしております。
では。
ひふみ神示 下つ巻 第十四帖
ひふみ神示より
【 第十四帖
臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。
一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、
三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四の御用にかかるから、その積もりで用意して置いて呉れよ。
この神は世界中の神を臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御用いくらでもあるぞ。
神様と臣民同じ数だけあるぞ。
それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。
小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告げうけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、この神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。
この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。
それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。
元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。
七から八から九から十から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立ちしてゐるからぞ。
世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねば分からん様では御用出来んぞ。
七月の二十日、ひつ九のか三。 】