ひふみ神示 上つ巻 第二十九、三十、三十一帖

ひふみ神示より

【 第二十九帖

 この世が元の神の世になると云ふことは、何んなかみにも分って居れど、何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ、かみにも分らんこと人にはなほ分らんのに、自分が何でもする様に思ふてゐるが、サッパリ取り違ひぞ。

 やって見よれ、あちへ外れこちへ外れ、いよいよ何うもならんことになるぞ、

最後のことはこの神でないと分らんぞ。いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合はんぞ。

   七月一日 ひつくのか三。       】

 

 

【 第三十帖

 富士を開いたらまだ開くところあるのざ、鳴戸へ行くことあるのざからこのこと役員だけ心得て置いて呉れよ。

  七月一の日、ひつくのか三。     】

 

【 第三十一帖

 今度の御用は結構な御用ぞ、いくら金積んでも、因縁ない臣民にはさせんぞ。

今に御用させて呉れと金持って来るが、一一神に聞いて始末せよ。

汚れた金御用にならんから、一厘も受取ることならんぞ。

汚れた金邪魔になるから、まことのもの集めるから、何も心配するなよ。

心配気の毒ぞよ。

何も神がするから慾出すなよ。あと暫くぞよ。日々に分かりて来るから、素直な臣民うれしうれしで暮らさすから。   】

 

 

 

ひふみ神示 上つ巻 第二十八帖

ひふみ神示より

「 世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ、

百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度はとことはに定まるのぞ、

身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、

茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、

今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。

神とアクとの力競べぞ、

今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて、よき方に廻はしてやるぞ。

神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分かりて居る、アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。

残る一厘は誰も知らぬところに仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉れよ、神も大切ざが、この世では臣民の大切ぞ。臣民この世の神ぞ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。七月一日 ひつ九のか三。      」 

ひふみ神示 上つ巻 第二十七帖

ひふみ神示より

「 何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。

元の仕組は富士(二二)ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて聞いて呉れよ、

今は分かるまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて聞いて呉れよ、

細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして親から御礼申すぞ、

行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。

天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。

悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神事で知らせておくぞ。

秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたらたづねてござれ、我を張ってゐると、いつまでも分からずに苦しむばかりぞ。

この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ、

三柱と七柱揃うたら山に行けよ。 

      七月一日、ひつくのか三。         」

ひふみ神示 上つ巻 第二十六帖

ひふみ神示より

【 「あ」の身魂とは天地のまことの一つの掛替ない身魂ぞ。

「や」とはその左の身魂 「わ」とは右の身魂ぞ、

「や」には替へ身魂㋳あるぞ。「わ」には替へ身魂㋻あるぞ。(〇の中はひらがな)

「あ」も「や」も「わ」も㋳も㋻も一つのものぞ。

みまたひいた神かかる臣民を集めるから急いで呉れるなよ、

今にわかるから、それまで見てゐて呉れよ。

「い」と「う」はその介添の身魂、その魂と組みて「え」と「を」、「ゑ」と「お」が生まれるぞ、

いづれは分かることざから、それまで待ちて呉れよ。

言ってやりたいなれど、今言っては仕組成就せんから、邪魔はいるから、

身魂掃除すれば分かるから、早う身魂洗濯して呉れよ。

神祀るとはお祭ばかりでないぞ。神にまつらふことぞ。

神にまつらふとは神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ、

神にまつはりつくとは、子が親にまつはることぞ、神に従ふことぞ、

神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、

神かかれば何もかも見通しぞ、

それで洗濯洗濯と臣民耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。

 七月の一日 ひつくのかみの道ひらけあるぞ。       」

 

ひふみ神示 上つ巻 第二十五帖

ひふみ神示より

「 一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見てみなに知らして呉れよ。 この神は世界中のみか天地のことを委(まか)されてゐる神の一柱ざから、小さいこと言ふのではないぞ、小さいことも何でもせなならんが、小さい事と臣民思うてゐると間違いが起こるから、臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、よく気をつけて呉れよ。

 北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買い溜めしても神のゆるさんもの一つも身に付かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。

 早よう神心にかへりて呉れよ。この岩戸開くのは難儀のわからん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民のちからはお手柄さして、とことはに名の残る様になるぞ。

 元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、その積もりで居れよ、欲張っていろいろ買い溜めしてゐる人、気の毒が出来るぞ、神はよく気をちけて置くぞ。

 この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから、天地の元の靛(てん)の大神、くにの大神と共に、よく祀りて呉れよ。

       六月の三十日、ひつくのか三。         」

ひふみ神示 上つ巻 第二十二帖、第二十三帖、第二十四帖

ひふみ神示より

 

「 第二十二帖

 いよいよとなれば、外国が強いと見れば、外国へつく臣民沢山できるぞ。

そんな臣民一人もいらぬ、早うまことの者ばかりで神の国を堅めて呉れよ。

   六月二十の八日、一二のか三.

 

  第二十三帖

 神なぞ何うでもよいから、早く楽にして呉れと言ふ人沢山あるが、こんな人は、今度はみな灰にして、なっくして仕まふから、その覚悟して呉れよ。

   六月の二十八日、ひつくのか三。

 

  第二十四帖

 七の日はものの成る日ぞ。

「ア」と「ヤ」と「ワ」は本(もと)の御用ぞ、

「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用ぞ。

あとはだんだん分かりて来るぞ。

   六月二十八日は因縁の日ざ、一二のか三。」

 

 

ひふみ神示によると、次は生まれ変りは無いようです。今回の行き方で永遠に魂のレベルのようなものが決定するようですよ。今生で肉体のあるうちに「身魂を掃除するように」と何度も何度も言われます。

 

ひふみ神示 上つ巻 第二十一帖

ひふみ神示より

 

「 世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、神々にも分からん仕組であるぞ、この仕組分かりてはならず分からねばならず、なかなかに六ヶ敷仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。

外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。

今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分からん仕組みざ。洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。

因縁の身魂は何うしても改心せねばはらんのざから、早う改心せよ、おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。

神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面間違ひないから、神の申す通りに、分からんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。

初めつらいなれどだんだん分かりて来るから、よく言う事聞いて呉れよ、

外国からせめて来て日本の国丸つぶれといふところで、元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のやうになるぞ、神の身体から息出来ぬようにしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。

富士から三十里離れた所へ祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。

富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分からんぞ、神は噴かん積もりでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、

神はかまはねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、そうして祀りて呉れ。まつりまつり結構、六月の二十八日、ひつ九のか三。」