天つ巻 第十三帖~十五帖

ひふみ神示より

  第十三帖

 空に変わりたこと現はれたなれば地に変わりたことがあると心得よ、いよいよとなりて来てゐるのざぞ。
神は元の神々様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願ひしてゐるのざが、もうおことはり申す術なくなりたぞ。玉串神に供へるのは衣供へることぞ、衣とは神の衣のことぞ、神の衣とは人の肉体のことぞ。臣民をささげることぞ、自分をささげることぞ、この道理分かりたか。人に仕へる時も同じことぞ、人を神として仕えへねばならんぞ、神として仕えると神となるのざから、もてないしの物出すときは、祓い清めて神に仕えると同様にして呉れよ、喰べものいまの半分で足りると申してあるが、神に捧げたものか祓い清めて神に捧げると同様にすれば半分で足りるのぞ、てんのゐへん気つけて呉れよ。神くどう気つけて置くぞ。神世近づいたぞ。

    九月六日、一二のか三。


   第十四帖

 海一つ越えて寒い国に、まことの宝隠してあるのざぞ、これからいよいよとなりたら、神が許してまことの臣民に手柄いたさすぞ、外国人がいくら逆立ちしても神が隠してゐるのざから手は着けられんぞ。
世の元からのことであれど、いよいよが近くなりたら、この方の力で出して見せるぞ、びっくり箱が開けて来るぞ。

   八月の七日、ひつくのか三。


   第十五帖

 神の国には神の国のやり方あるぞ、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方がちがふのざぞ、教もそれぞれにちがってゐるのざぞ、元は一つであるなれど、神の教が一等よいと申しても、そのままでは外国には通らんぞ、このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気つけて呉れよ、猫に小判何にもならんぞ、神の一度申したことは一分もちがはんぞ。

   八月七日、一二〇(ゝ)。