ひふみ神示 下つ巻 第一帖

ひふみ神示より

【 第一帖

 富士は晴れたり日本晴れ。青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。

鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水あるそれ鳥居ぞ。

皆の者御苦労ぞ。蛇が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、人の登らぬようにして、龍神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。

 富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ次の仕組にかかるから、早よう次の御用きいて呉れよ、神急けるぞ、山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、始めて天(てん)晴れるぞ。

天晴れて神の働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよ分からなくなるから、早う神心(かみこころ)になりて下されよ。つぎつぎに書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。

 この道(おしへ)は宗教(をしえ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。

 道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神がみちみつることぞ。

金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。

   七月十二日の神示(ふで)、ひつくのか三。    】

 

岡本天明伝によりますと、

蛇が岳は、群馬県榛名山”榛名富士の艮(うしとら)の方角にあたる外輪山の蛇ヶ岳”のことのようです。

 

・「上つ巻 第二十一帖」の中山

「榛名は中山」富士山から三十里の距離にあたる場所として、群馬県榛名山(榛名富士の艮(うしとら)の方角にあたる外輪山の蛇ヶ岳)に天之日津久神を祀った(七月十日~十一日)

榛名神社 江戸時代までは国常立尊イザナギ尊、イザナミの尊などが祭神だった

  ※代々木神社には雨乞いの神として勧請された榛名宮が境内社として鎮座していた

奥山 中山 一の宮 は、時期によって場所が変わっているようです。

 

 ※神示は八通りに読める (解釈)出来るそうです。また、その人の身魂の掃除洗濯が磨けた具合でも違うようです。

「悲しみは、聴いてくれる人がいて初めて悲しめる」

 先日、ある先生の講演に行きました。今までブログに一度も書いていない系統の講習会です。(7~8年前から年に1~2回はその先生のお話を聞く機会があります。)

 

 「悲しみは、聴いてくれる人がいて初めて悲しめる」

という言葉が印象に残りました。

 

 

 昨今、ニュース等をみるにつけ思うところがあったので、色々な方から伺ったことを少し書こうと思います。

 「死にたい」と言った少女達を次々に手にかけた犯人は「少女は死にたかったわけじゃなかった」という事を言っているとか。

「死にたい」は「死にたいほど辛い。苦しい」という気持ちをわかって欲しかったのでしょうか。

 息は吐いてから吸います。

 誰かに辛さ、苦しみを語る(吐く)と、スキマが出来て、(吸う)ことが出来るようになるのかもしれません。

「答えは、自分の中にある」そうです。語ることで自分が今出来そうな事に気づくのかもしれません。

 もし、言えない。身近な人に言いたくない、言っても理解してもらえないと思っているのなら、

「自分の価値感を横に置いて」聴く訓練を受けている専門家や、そう出来るよう努力している方々に話す ということもいいのではないでしょうか。

 

では。

 

 

 

 

 

ひふみ神示 上つ巻 第三十九、第四十、第四十一、第四十二帖

ひふみ神示より

【  第三十九帖

 地雷かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。カミカカリが沢山出てきて、わけの分らんことになるから、早く此の理(みち)ひらいて呉れよ。

 神界ではもう戦の見通しついてゐるなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ、

改心すれば分かりて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ、ひつくのか三。

 

   第四十帖

 北も南も東も西もみな敵ぞ、敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。

きんの国へみなが攻めて来るぞ、神の力をいよいよ現はして、どこまで強いか、神の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ、臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ、一二のか三。

 

   第四十一帖

 人の知らん行かれん所で何してゐるのぞ。

神にはよう分って居るから、いよいよといふ時が来たら助けやうもないから、気をつけてあるのにまだ目さめぬか。

 闇のあとが夜明けばかりと限らんぞ。闇がつづくかも知れんぞ。

何もかも捨てる神民、さひはひぞ、捨てるとつかめるぞ、ひつきのか三。

 

  第四十二帖

 初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いて呉れよ。

お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ、一月の間に書いて呉れた神示(ふで)は「上つ巻」として後の世に残して呉れよ、これから一月の間に書かす神示は次の世の、神の世の仕組の神示ざから、それは「下(しも)つ巻」として後の世に残さすぞ、

その積もりで気をつけて呉れよ。御苦労なれでも世界の臣民の為ざから、何事も神の申すこと、すなをに聞いてくだされよ。

   七月の九日、ひつくのか三かく。    (上つ巻了)】

 

次は「第一二巻 夜明けの巻」を書こうと思っていましたが、やっぱり「下つ巻」にしますね。

 

ひふみ神示 上つ巻 第三十六、第三十七、第三十八帖

ひふみ神示より

【 第三十六帖

元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。

穴の中に住まなならんこと出来るぞ、生の物食うて暮さなならんし、臣民取り違ひばかりしてゐるぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、われの慾ばかり言ってゐると大変が出来るぞ。

    七月の九日、ひつくのか三。

 

  第三十七帖

 人の上の人、みな臭い飯食ふこと出来るから、今から知らして置くから気をつけて呉れよ。

 お宮も一時は無くなる様になるから、その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。早う身魂みがいておけよ、お宮まで外国のアクに壊されるやうになるぞ。早くせねば間に合わんことぞ、ひつくのか三。

 

  第三十八帖

 残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。

 日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。

 神にシッカリと縋りて居らんと何も分らんことになるから、早う神に縋りて居れよ、神ほど結構なものはないぞ。

 神にも善い神と悪い神とあるぞ、

雨の日は雨、風の日は風といふことわからんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。

 いやならいやで外に代わりの身魂あるから神は頼まんぞ、いやならやめて呉れよ。

無理に頼まんぞ。神のすること一つも間違ひないのぞ、

よく知らせを読んで下されよ、ひつきのか三。

 

ひふみ神示 上つ巻 第三十三、第三十四、三十五帖

ひふみ神示より

【 第三十三帖 

 神の用意は済んでゐるのざから、民の用意早うして呉れよ、用意して早う祀りて呉れよ。

富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだん分かりて来るぞ、神の名のついた石あるぞ、その石、役員に分けてそれぞれに守護の神つけるぞ、神の意思はお山にあるから、お山開いて呉れよ。

 ひつぐの民、みつぐの民、早う用意して呉れよ、神急けるぞ。

   七月二日、ひつくのか三。    

 

  第三十四帖

 何事も天地に二度とないことで、やり損なひしてならん多陀用幣流天地(たたよへるくに)の修理固成(かため)の終わりの四あけであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申してゐるのざ、神々さま、臣民みなきいて呉れよ。

 一二三(ひふみ)の御用出来たら三四五(みよいつ)の御用にかからなならんから、早う一二三の御用して呉れよ。

 何も心配ないから神の仕事をして呉れよ、神の仕事して居れば、どこにゐても、いざといふ時には、神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ。

 一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。

  七月の三日、ひつくのか三。 

 

 

  第三十五帖

 死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。

神のまにまに神の御用して呉れよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ。

 まだまだ悪魔ほえらい仕組してゐるぞ、神の国千切りと申してあるが、喩へではないぞ、いよいよとなりたら神が神力出して上下引つくり返して神代に致すぞ、とはの神代に致すぞ。

 細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねば分らん様では神国(しんこく)の民とは云はれんぞ。

 外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かいでも分かる身魂授けてあるぞ、それで身魂磨いて呉れと申してあるのぞ、それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。

 何も心配いらんから、お山開いて呉れよ江戸が火となるぞ、神急けるぞ。

  七月の七日、ひつくのか三。 】

    

 

 

 

ひふみ神示 上つ巻 第三十二帖

ひふみ神示より

【 第三十二帖

 世の元からヒツグとミツグとあるぞ

ヒツグは”〇の中にゝ”の系統ぞ、ミツグは〇の系統ぞ。

ヒツグはまことの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。

 ”〇の中にゝ”と〇結びて一二三(ヒフミ)となるのざから、

外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあろうがな。

 一二三唱へて岩戸あくぞ。

神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違はん様にして呉れよ。

 ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱へて呉れよ、一二三唱へると岩戸あくぞ。

  七月の二の日、ひつくのか三。     】

 

以前にも書きましたが、大野朝行著の「カタカムナで解く 魂合氣術」P122に、「アワ性の大切さ、万物はアワ(左)回りとサヌキ(右)右回りでできている。音の間にウが入る大切さ」…ウ音を挟んで発声すればフトマニの力が生まれる とあります。

 

前回は表にしましたが、今回はコレで。

 

 ひふみ祝詞(父音入り発音)

 

ひ(フウイ) ふ(フウウ) み(ムウイ) 

よ(ユウオ) い(ユウイ) む(ムウウ) な(ヌウア) や(ユウア)

こ(クウオ) と(ツウオ) も(ムウオ) ち(ツウイ) ろ(ルウオ) ら(ルウア) ね(ヌウエ)

し(スウイ) き(クウイ) る(ルウウ)

ゆ(ユウウ) ゐ(ヴウイ) つ(ツウウ) わ(ヴウア) ぬ(ヌウウ)

そ(スウオ) を(ヴウオ) た(ツウア) は(フウア) く(クウウ) め(ムウエ) か(クウア)

う(ヴウウ) お(ウウオ) え(ユウエ)

に(ヌウイ) さ(スウア) り(ルウイ) へ(フウエ) て(ツウエ)

の(ヌウオ) ま(ムウア) す(スウウ) あ(ヴウア) せ(スウエ) ゑ(ヴウエ) ほ(フウオ) れ(ルウエ) け(クウエ)~~~~

 

 ひふみ神示のどこかに、三・五・七の区切り、最後は伸ばせと出て来るので、こんな感じにしてみました。

 

因みに岡本天明伝(著 黒川柚月)によると、「かた歌」という五七七(五七)律を弥栄律ですめら歌だといわれ奨めていたようです。

万葉集の多くは五七七を二回繰り返した積極歌だとか。

そして、病める人でも、この律の歌を歌い出せる人ならば、その人は息長の人であり病気等はその息吹により吹き飛んでしまうとも。

 

 よくわかりませんけど、とにかく、ひふみ いろは はウ音を挟んだ発声で唱えると良い ということで。

 では。