ひふみ神示 地つ巻 第一帖~第七帖

ひふみ神示より

地(九二)つ巻
 第一帖

地(くに)つ巻書き知らすぞ、世界は一つの実言(みこと)となるのぞ、それぞれの言の葉あれど、実言(みこと)は一つとなるのであるぞ。
てん詞様の実言に従ふのざぞ、命(みこと)の世近づいて来たぞ。

      九月十五日、一二〇(ゝ)。


  第二帖

 今は闇の世であるから世の明けたこと申しても、誰にも分らんなれど、夜が明けたらなる程さうでありたかとビックリするなれど、それでは間に合わんのざぞ、それまでに心改めておいて下されよ、この道信ずれば、すぐによくなると思うてゐる臣民もあるなれど、それは己の心のままぞ、道に外れたものは誰彼ないのざぞ、これまでのやり方スクリと変えねば世は治まらんぞと申してあるが、上の人苦しくなるぞ、途中の人も苦しくなるぞ、お〇(かみ)のいふこときかん世になるぞ。

         九月の十六日、ひつ九のか三。


  第三帖

 人民同士の戦では到底かなはんなれど、いよいよとなりたら神がうつりて手柄さすのであるから、それまでに身魂みがいておいて呉れよ。
世界中が攻め寄せたと申しても、誠には勝てんのであるぞ、誠ほど結構なものないから、誠が神風であるから、臣民に誠なくなりてゐると、何んな気の毒出来るか分からんから、くどう気つけておくのざぞ、腹掃除せよ。

       九月十六日、ひつ九のか三。


  第四帖

 この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分かるのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ、この神示盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。
この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝み手おれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、我れが我がと思うてゐると、鼻ポキリと折れるぞ。
       九月十六日、ひつくのか三。


  第五帖

 片輪車でトンテントンテン、骨折損の草臥儲けばかり、いつまでしてゐるのぞ、神にまつろへと申してあろうがな、臣民の智恵で何出来たか、早う改心せよ。

      九月十六日、ひつ九のか三。


  第六帖

 神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。
目さめたらその日の生命(いのち)おあづかりしたのざぞ、神の肉体、神の生命大切せよ。
神の国は神の力でないと治ったことないぞ。神第一ぞ、いつまで仏や基(キリスト)や色々なものにこだはってゐるのぞ。
出雲の神様大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ。天つ神、国つ神みなの神々様に御礼申せよ、まつろひて下されよ、結構な恐い世となりて来たぞ、上下くれんぞ。

      九月十七日、一二の〇(ゝ)。


   第七帖

 神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死の事、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。
世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神神様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。
腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐、神漏美の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分かりて来るぞ。
海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国の悪わたりて来て神は残念ぞ。みておざれ、神の力表はす時来たぞ。
      九月十八日、ひつ九〇(ゝ)。

 

ひふみ神示 天つ巻 第二十三帖~第三十帖

 ひふみ神示より  

   天つ巻 

  第二十三帖

 我がなくてはならん、我があってはならず、よくこの神示(ふで)読めと申すのぞ。悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ、この道理分かりたらそれが善人だぞ。千人力の人が善人であるぞ、お人よしではならんぞ、それは善人ではないのざぞ、神の臣民ではないのざぞ。、雨の神どの風の神どのに特に御礼申せよ。
 
            八月の九日、一二〇(中にゝ)。

   第二十四帖

 今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りではないか、この世はおろか自分の身体のことさへ分かりて居らんのざぞ、それでこの世をもちて行く積りか、分からんと申しても余りでないか。神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分からんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分からんか、ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪のみたまぞ、そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ、臣民近欲(ちかよく)なからわからんのぞ、慾もなくてはならんのざぞ、取違ひと鼻高とが一番恐いのぞ。神は生まれ赤子のこころを喜ぶぞ、みがけば赤子となるのぞ、いよいよが来たぞ。

              九月十日、ひつ九のかみ。

 

  第二十五帖

 今に臣民何も言へなくなるのざぞ、神烈しくなるのざぞ、目あけて居れんことになるのざぞ。四ン這ひになりて這い廻らなならんことになるのざぞ、のたうち廻らなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、水くぐらなならんのざぞ。臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。

               九月十日、ひつくのか三。

 

  第二十六帖

 天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ。青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやるぞ。天明は神示(ふで)書かす御役であるぞ。
               九月十日、ひつ九〇(中にゝ)


   第二十七帖
 石物いふ時来るぞ、草物いふ時来るぞ。北おがめよ、北光るぞ、北よくなるぞ、夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、やはらかくなるぞ、五六七(みろく)の世となるぞ。慌てずに急いで呉れよ。神神様みなの産土様総活動でござるぞ、神神様まつりて呉れよ、人人様まつりて呉れよ、御礼申して呉れよ。
                九月十二日、十二か三。

 

  第二十八帖

 おそし早しはあるなれど、一度申してこと必ず出て来るのざぞ。臣民は近欲で疑ひ深いから、何もわからんから疑う者もあるなれど、この神示一分一厘ちがはんのざぞ。世界ならすのざぞ、神の世にするのざぞ、善一すじにするのざぞ、誰れ彼れの分けへだてないのざぞ。土から草木生れるぞ、草木から動物、虫けら生まれるぞ。上下ひっくり返るのざぞ。
              九月の十三日、ひつ九のか三。

 

  第二十九帖

 この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。
病あるかなきかは手廻して見れば直ぐわかるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐわかるであろうが。
臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろうが、今の国々のみ姿見よ。み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。 手は手の思う様に、足は足ぞ、これでは病なおらんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。 足地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。
尻に帆かけて飛ぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足汚れてゐると病になるぞ、足からお土の息が入るのざぞ、臍の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも跣足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざからあり難い仕組ざから喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足の裏殊に綺麗にせなならんぞ。神の申すやう素直に致されよ、この方病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。
戦も病の一つであるぞ、国の足うら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。
上の守護神どの、下の守護神どの、中に守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合わんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。
             九月十三日、一二〇(中にゝ)。

 

   第三十帖

 富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、今に分かりて来るのぞ。神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、分ければ分けるほど分からなくなって手におへんことになるぞ。手足は沢山は要らぬのざぞ。火垂(ひだり)の臣(おみ)と水極(みぎり)の臣とあればよいのざぞ。
ヤとワと申してあろうがな、その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。今の臣民自分で自分の首くくるやうにしてゐるのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部ではないぞ、この道理よく心得ておけよ。神示は印刷することならんぞ、この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。
一二三は印刷してようのざぞ。印刷結構ぞ。この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時によりその国によりてそれぞれに説いて聞かせよ。日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。善一すぢとは神一すぢのことぞ、この巻を「天つ巻」と申す、しっかり写して呉れよ、すっかり伝へて呉れよ。
            九月十四日、ひつ九のか三。(天つ巻了)


  

ひふみ神示 天つ巻 第十九~二十二帖

ひふみ神示より

  第十九帖
 
神の力が何んなにあるか、今度は一度は世界の臣民に見せてやられば納まらんのざぞ、世界ゆすぶりて知らせねばならん様になるなれど、少しでも弱くゆすりて済む様にしたいから、くどう気つけてゐるのざぞ、ここまで世が迫りて来てゐるのぞ、まだ目醒めぬか、神は何うなっても知らんぞ、早く気つかぬと気の毒出来るぞ、その時になりては間に合はんぞ。
     八月七日、一二〇(ゝ)。

 
   第二十帖

 神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金(きん)は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変わるのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれそれに先の分かる様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。
悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無くす致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちてうれしうれしの世となるのざぞ。
     八月の七日、ひつ九のか三ふで。


   第二十一帖

 みろく出づるには、はじめ半ばは焼くぞ、人、二分は死、みな人、神の宮となる。
西は戦争(いくさ)しつくし、神世とひらき、国毎に一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、たりて百千万(ももちよろず)、神急ぐぞよ。
          八月七日、ひつくのかみふみぞ。


    第二十二帖

  十柱の世の元からの活神様御活動になりてゐること分かりたであろうがな、けものの入れものには分かるまいなれど、神の臣民にはよく分かりてゐる筈ぞ。まだだんだんに烈しくなりて外国の臣民にも分かる様になれて来るのざぞ。その時になりて分かりたのではおそいおそい、早う洗濯いたして呉れよ。

    八月の九日、ひつ九のか三。

天つ巻 第十六帖~十八帖

  ひふみ神示より

       第十六帖

 今度の戦済みたらてんし様が世界中知ろしめて、外国には王はなくなるのざぞ。
一旦戦おさまりても、あとのゴタゴタなかなか静まらんぞ、神の臣民ふんどし締めて神の申すことよく腹に入れて置いて呉れよ、ゴタゴタ起こりたとき、何うしたらよいかと云うふことも、この神示(ふで)よく読んで置けば分かるやうにしてあるのざぞ。神は天からと宙からと地からと力合わして、神の臣民に手柄立てさす様にしてあるのざが、今では手柄立てさす、神の御用に使う臣民一分(いちぶ)もないのざぞ。神の国が勝つばかりではないぞ、世界中の人も草も動物も助けてみな喜ぶやうにせなならんのざから、臣民では見当取れん永遠(とことは)につづく神世に致すのざから、素直に神の申すこときくが一番ざぞ。人間の知恵でやるなら、やって見よれ、あちらへ外れ、こちらに外れ、ぬらりくらりと鰻つかみぞ、思ふやうにはなるまいがな、神の国が本の国ざから、神の国からあらためるのざから、一番つらいことになるのざぞ、覚悟はよいか、腹さへ切れぬやうなフナフナ腰で大番頭とは何と云ふことぞ、てんし様は申すもかしかし、人民さま、犬猫にも済むまいぞ。人の力ばかりで戦してゐるのでないこと位分かった居らうがな、目に見せてあらうがな、これでも分からんか。

       八月七日、一二〇(ゝ)。


   第十七帖

 昔から生き通しの活神様のすることぞ、泥の海にする位朝飯前のことざが、それでは臣民が可哀そうなから天の大神様にこの方がお詫びして一日(ひとひ)一日と延ばしてゐるのざぞ、その苦労も分からずに臣民勝手なことばかりしてゐると、神の堪忍袋切れたら何んなことあるか分からんぞ、米があると申して油断するでないぞ、一旦は天地へ引き上げぞ。

      八月七日、一二〇(ゝ)。


   第十八帖

 何時も気つけてあることざが、神が人を使うているのざぞ、今度の戦で外国人にもよく分って、神様にはかなはん、何うか言ふこときくから、夜も昼もなく神に仕えるからゆるして呉れと申す様になるのざぞ、それには神の臣民の身魂掃除せなならんのざぞ、くどう様なれど一時も早く一人でも多く改心して下されよ、神は急ぐのざぞ。
     八月七日一二〇(ゝ)

天つ巻 第十三帖~十五帖

ひふみ神示より

  第十三帖

 空に変わりたこと現はれたなれば地に変わりたことがあると心得よ、いよいよとなりて来てゐるのざぞ。
神は元の神々様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願ひしてゐるのざが、もうおことはり申す術なくなりたぞ。玉串神に供へるのは衣供へることぞ、衣とは神の衣のことぞ、神の衣とは人の肉体のことぞ。臣民をささげることぞ、自分をささげることぞ、この道理分かりたか。人に仕へる時も同じことぞ、人を神として仕えへねばならんぞ、神として仕えると神となるのざから、もてないしの物出すときは、祓い清めて神に仕えると同様にして呉れよ、喰べものいまの半分で足りると申してあるが、神に捧げたものか祓い清めて神に捧げると同様にすれば半分で足りるのぞ、てんのゐへん気つけて呉れよ。神くどう気つけて置くぞ。神世近づいたぞ。

    九月六日、一二のか三。


   第十四帖

 海一つ越えて寒い国に、まことの宝隠してあるのざぞ、これからいよいよとなりたら、神が許してまことの臣民に手柄いたさすぞ、外国人がいくら逆立ちしても神が隠してゐるのざから手は着けられんぞ。
世の元からのことであれど、いよいよが近くなりたら、この方の力で出して見せるぞ、びっくり箱が開けて来るぞ。

   八月の七日、ひつくのか三。


   第十五帖

 神の国には神の国のやり方あるぞ、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方がちがふのざぞ、教もそれぞれにちがってゐるのざぞ、元は一つであるなれど、神の教が一等よいと申しても、そのままでは外国には通らんぞ、このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気つけて呉れよ、猫に小判何にもならんぞ、神の一度申したことは一分もちがはんぞ。

   八月七日、一二〇(ゝ)。

天つ巻 第六帖~十二帖

天つ巻 第六帖

ひふみ神示より

  第六帖

 天(あめ)は天の神、国は国の神が治(し)らすのであるぞ、お手伝いはあるなれど。秋の空のすがすがしさが、グレンと変えるぞ、地獄に住むもの地獄がよいぞ、天国ざぞ、逆様はもう長うはつづかんぞ、無理通らぬ時世が来たぞ、いざとなりたら残らずの活神(いきがみ)様、御総出ざぞ。おもうしt

       九月の一日、ひつくのか三。

  第七帖

 二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二本のお足であんよせよ、二本のお手手で働けよ、日本の神の御仕組、いつも二本となりてるぞ、一本足の案山子さん、今更何うにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、云ふこと最早分かったら、神が与えた二本足、日本のお土に立ちて見よ、二本のお手手打ち打ちて、神おろがめよあめつちに、響くまこのの柏手に、日本の国は晴れるぞよ、二二は晴れたり日本晴れ、二二は晴れたり、岩戸あけたり。

      九月一日ひつ九のか三。

   第八帖

 あらしの中の捨小舟と申してあるが、今その通りとなりて居ろうがな、何うすることも出来まいがな、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、神はそれを待ってゐるのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらはれるぞ。光現はれると道ハッキリと判りて来るのぞ、この方にだまされたと思うて、言ふ通りにして見なされ、自分でもビックリする様に結構が出来てるのにビックリするぞ。富士の御山に腰かけて、この方世界中まもるぞ。かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。天から人が降りる、人が天に昇こと、昇り降りで忙しくなるぞ。てんし様御遷り願ふ時近づいて来たぞよ。奥山に紅葉あるうちにと思へども、いつまで紅葉ないぞ。

      九月の二日、ひつく〇(ゝ)。

 

   第九帖

 ひふみの秘密出てひらきなる、早く道展き成る、世ことどとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づ」はじめ。

     九月二日、ひつぐのかみ。


   第十帖

 一二三の裏に〇一二、三四五の裏に二三四、五六七の裏に四五六の御用あるぞ。五六七すんだら七八九ぞ、七八九の裏には六七八あるぞ、八九十の御用あるぞ。だんだんに知らすから、これまでの神示(ふで)よく心に入れて、ジッとして置いて呉れよ。
   
     九月の三日、ひつ九のか三。


   第十一帖

 この神示言波としてよみて呉れよ、神神様にもきかせて呉れよ、守護神どのにも聞かせて呉れよ、守護神どのの改心まだまだであるぞ、一日が一年になり、百年になると目が廻りて真底からの改心でないとお役に立たんことになりて来るぞ。

     九月四日、一二(ひつぐ)か三。


   第十二帖

 遠くて近きは男女だけではないぞ、神と人、天と地、親と子、喰べる物も遠くて近いがよいのざぞ、カミそまつにすればカミに泣くぞ、土尊べば土が救って呉れるのぞ、尊ぶこと今の臣民忘れてゐるぞ、神ばかり尊んでも何にもならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、敵尊べば敵が敵でなくなるのぞ、この道理分かりたか。臣民には同じ分霊(わけみたま)さづけてあるのざから、みがけば神になるのぞ。神示は謄写よいぞ、初めは五十八、次は三百四十三ぞ、よいな。

     八月の五日、ひつくのか三。

 

ひとりごと (興味深い動画も)

 ずっといくつかのことを書こうと思いつつ、なかなかしっくりくる表現が浮かばなかったので躊躇していましたら、興味深い動画の後半にしっくりくることがありました。

 

 書こうとしていたものの一つは…

私は、色々なかたちで情報が入ってきても、そうかも知れないけどわからないから頭や心の片隅に置いておいて、時期が来たら(腑に落ちたら)、とりあえず「今のところは」確定。けれど、状況が変わったりまた様々な情報が加わったりすることもあるし、常に「今は」「かもしれない」「自分にとっては」というスタンスなのです。他人のバイアスがかかったものはなるべく排除して、常に自分の目で見たもの 自分が直接聞いたもの 触れたもの を心で、感覚で決めるように心がけています。 身近なものから社会的なことまで。。。

 その場にいない人のことを悪く思わせるよう上手に印象操作する人も苦手ですね。

遭遇するとなるべく関わらないようにスーっと離れますが(熊や蜂に遭遇した時のように、静かに背中を見せずにそっと)、その手の苦手な人は押しも引きも強く巧みなのでかなり大変。 (今は幸い周りにその手の人がほぼいないのでいいのですけど。)

 

 で、細菌の世界の話を思い出すのです。

善玉菌 ひよりみ菌 悪玉菌 の割合が、2:6:2でバランスが取れているが、

善玉菌が多くなったら日和見菌が善玉菌になり、悪玉菌の方が増えれば日和見菌は悪玉菌になると昔聞きました。そして悪玉菌を排除して善玉菌と日和見菌だけにしても、またそこで悪玉菌が出来て、2:6:2の割合になると。。。。

 昔は、自分は人間の世界では善玉菌でいたい。日和見菌になりたくないしなれないって思った時期もありましたが、今は、日和見的な人のことも理解していますし、たぶん必要なのだろうと思っています。

 ただ、簡単に印象操作に引っかかる とまではいかなくても、他人に影響されすぎじゃないの?大丈夫?って。。。。

  まぁ、自分こそちゃんと判断しているのかって言われないよう気をつけますね。

 

 ということで、たまたま見つけたこの動画が興味深かったです(特に29分~)

 ATLASラジオ181:宇宙意識ハトホル降臨、助六寿司と椎茸が大好き https://youtu.be/JbcCAVuUR4k @YouTubeさんから

株主総会と一緒で51%でいい。

光だけを持っていけない。(オセロ グレースケール)

日和見菌も大事。

バランス

他いろいろ

 

追) 17分頃からゲートについての補足あり

ATLASラジオ176:スターゲート滅亡論を斬る!?アセンション は個ではない? https://youtu.be/GwapelrJwaU @YouTubeさんから

 

  

「抱きまいらせる」。。。。難しいですね。なんとなくこれ思い出しました。

 光の三原色は発光で見える色 

     赤と緑と青が全部混ざると明るくなりに近づいていく

 

 色の三原色は光が当たり反射して見える色 

     シアン・マゼンタ・イエローが全部混ざると暗くなりに近づいていく

 

 では。