ひふみ神示 上つ巻 第三十九、第四十、第四十一、第四十二帖

ひふみ神示より

【  第三十九帖

 地雷かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。カミカカリが沢山出てきて、わけの分らんことになるから、早く此の理(みち)ひらいて呉れよ。

 神界ではもう戦の見通しついてゐるなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ、

改心すれば分かりて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ、ひつくのか三。

 

   第四十帖

 北も南も東も西もみな敵ぞ、敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。

きんの国へみなが攻めて来るぞ、神の力をいよいよ現はして、どこまで強いか、神の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ、臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ、一二のか三。

 

   第四十一帖

 人の知らん行かれん所で何してゐるのぞ。

神にはよう分って居るから、いよいよといふ時が来たら助けやうもないから、気をつけてあるのにまだ目さめぬか。

 闇のあとが夜明けばかりと限らんぞ。闇がつづくかも知れんぞ。

何もかも捨てる神民、さひはひぞ、捨てるとつかめるぞ、ひつきのか三。

 

  第四十二帖

 初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いて呉れよ。

お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ、一月の間に書いて呉れた神示(ふで)は「上つ巻」として後の世に残して呉れよ、これから一月の間に書かす神示は次の世の、神の世の仕組の神示ざから、それは「下(しも)つ巻」として後の世に残さすぞ、

その積もりで気をつけて呉れよ。御苦労なれでも世界の臣民の為ざから、何事も神の申すこと、すなをに聞いてくだされよ。

   七月の九日、ひつくのか三かく。    (上つ巻了)】

 

次は「第一二巻 夜明けの巻」を書こうと思っていましたが、やっぱり「下つ巻」にしますね。

 

ひふみ神示 上つ巻 第三十六、第三十七、第三十八帖

ひふみ神示より

【 第三十六帖

元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。

穴の中に住まなならんこと出来るぞ、生の物食うて暮さなならんし、臣民取り違ひばかりしてゐるぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、われの慾ばかり言ってゐると大変が出来るぞ。

    七月の九日、ひつくのか三。

 

  第三十七帖

 人の上の人、みな臭い飯食ふこと出来るから、今から知らして置くから気をつけて呉れよ。

 お宮も一時は無くなる様になるから、その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。早う身魂みがいておけよ、お宮まで外国のアクに壊されるやうになるぞ。早くせねば間に合わんことぞ、ひつくのか三。

 

  第三十八帖

 残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。

 日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。

 神にシッカリと縋りて居らんと何も分らんことになるから、早う神に縋りて居れよ、神ほど結構なものはないぞ。

 神にも善い神と悪い神とあるぞ、

雨の日は雨、風の日は風といふことわからんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。

 いやならいやで外に代わりの身魂あるから神は頼まんぞ、いやならやめて呉れよ。

無理に頼まんぞ。神のすること一つも間違ひないのぞ、

よく知らせを読んで下されよ、ひつきのか三。

 

ひふみ神示 上つ巻 第三十三、第三十四、三十五帖

ひふみ神示より

【 第三十三帖 

 神の用意は済んでゐるのざから、民の用意早うして呉れよ、用意して早う祀りて呉れよ。

富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだん分かりて来るぞ、神の名のついた石あるぞ、その石、役員に分けてそれぞれに守護の神つけるぞ、神の意思はお山にあるから、お山開いて呉れよ。

 ひつぐの民、みつぐの民、早う用意して呉れよ、神急けるぞ。

   七月二日、ひつくのか三。    

 

  第三十四帖

 何事も天地に二度とないことで、やり損なひしてならん多陀用幣流天地(たたよへるくに)の修理固成(かため)の終わりの四あけであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申してゐるのざ、神々さま、臣民みなきいて呉れよ。

 一二三(ひふみ)の御用出来たら三四五(みよいつ)の御用にかからなならんから、早う一二三の御用して呉れよ。

 何も心配ないから神の仕事をして呉れよ、神の仕事して居れば、どこにゐても、いざといふ時には、神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ。

 一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。

  七月の三日、ひつくのか三。 

 

 

  第三十五帖

 死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。

神のまにまに神の御用して呉れよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ。

 まだまだ悪魔ほえらい仕組してゐるぞ、神の国千切りと申してあるが、喩へではないぞ、いよいよとなりたら神が神力出して上下引つくり返して神代に致すぞ、とはの神代に致すぞ。

 細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねば分らん様では神国(しんこく)の民とは云はれんぞ。

 外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かいでも分かる身魂授けてあるぞ、それで身魂磨いて呉れと申してあるのぞ、それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。

 何も心配いらんから、お山開いて呉れよ江戸が火となるぞ、神急けるぞ。

  七月の七日、ひつくのか三。 】

    

 

 

 

ひふみ神示 上つ巻 第三十二帖

ひふみ神示より

【 第三十二帖

 世の元からヒツグとミツグとあるぞ

ヒツグは”〇の中にゝ”の系統ぞ、ミツグは〇の系統ぞ。

ヒツグはまことの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。

 ”〇の中にゝ”と〇結びて一二三(ヒフミ)となるのざから、

外国人も神の子ざから外国人も助けなならんと申してあろうがな。

 一二三唱へて岩戸あくぞ。

神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違はん様にして呉れよ。

 ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱へて呉れよ、一二三唱へると岩戸あくぞ。

  七月の二の日、ひつくのか三。     】

 

以前にも書きましたが、大野朝行著の「カタカムナで解く 魂合氣術」P122に、「アワ性の大切さ、万物はアワ(左)回りとサヌキ(右)右回りでできている。音の間にウが入る大切さ」…ウ音を挟んで発声すればフトマニの力が生まれる とあります。

 

前回は表にしましたが、今回はコレで。

 

 ひふみ祝詞(父音入り発音)

 

ひ(フウイ) ふ(フウウ) み(ムウイ) 

よ(ユウオ) い(ユウイ) む(ムウウ) な(ヌウア) や(ユウア)

こ(クウオ) と(ツウオ) も(ムウオ) ち(ツウイ) ろ(ルウオ) ら(ルウア) ね(ヌウエ)

し(スウイ) き(クウイ) る(ルウウ)

ゆ(ユウウ) ゐ(ヴウイ) つ(ツウウ) わ(ヴウア) ぬ(ヌウウ)

そ(スウオ) を(ヴウオ) た(ツウア) は(フウア) く(クウウ) め(ムウエ) か(クウア)

う(ヴウウ) お(ウウオ) え(ユウエ)

に(ヌウイ) さ(スウア) り(ルウイ) へ(フウエ) て(ツウエ)

の(ヌウオ) ま(ムウア) す(スウウ) あ(ヴウア) せ(スウエ) ゑ(ヴウエ) ほ(フウオ) れ(ルウエ) け(クウエ)~~~~

 

 ひふみ神示のどこかに、三・五・七の区切り、最後は伸ばせと出て来るので、こんな感じにしてみました。

 

因みに岡本天明伝(著 黒川柚月)によると、「かた歌」という五七七(五七)律を弥栄律ですめら歌だといわれ奨めていたようです。

万葉集の多くは五七七を二回繰り返した積極歌だとか。

そして、病める人でも、この律の歌を歌い出せる人ならば、その人は息長の人であり病気等はその息吹により吹き飛んでしまうとも。

 

 よくわかりませんけど、とにかく、ひふみ いろは はウ音を挟んだ発声で唱えると良い ということで。

 では。

 

 

ひふみ神示 上つ巻 第二十九、三十、三十一帖

ひふみ神示より

【 第二十九帖

 この世が元の神の世になると云ふことは、何んなかみにも分って居れど、何うしたら元の世になるかといふこと分らんぞ、かみにも分らんこと人にはなほ分らんのに、自分が何でもする様に思ふてゐるが、サッパリ取り違ひぞ。

 やって見よれ、あちへ外れこちへ外れ、いよいよ何うもならんことになるぞ、

最後のことはこの神でないと分らんぞ。いよいよとなりて教へて呉れと申しても間に合はんぞ。

   七月一日 ひつくのか三。       】

 

 

【 第三十帖

 富士を開いたらまだ開くところあるのざ、鳴戸へ行くことあるのざからこのこと役員だけ心得て置いて呉れよ。

  七月一の日、ひつくのか三。     】

 

【 第三十一帖

 今度の御用は結構な御用ぞ、いくら金積んでも、因縁ない臣民にはさせんぞ。

今に御用させて呉れと金持って来るが、一一神に聞いて始末せよ。

汚れた金御用にならんから、一厘も受取ることならんぞ。

汚れた金邪魔になるから、まことのもの集めるから、何も心配するなよ。

心配気の毒ぞよ。

何も神がするから慾出すなよ。あと暫くぞよ。日々に分かりて来るから、素直な臣民うれしうれしで暮らさすから。   】

 

 

 

ひふみ神示 上つ巻 第二十八帖

ひふみ神示より

「 世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ、

百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度はとことはに定まるのぞ、

身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、

茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、

今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。

神とアクとの力競べぞ、

今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて、よき方に廻はしてやるぞ。

神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分かりて居る、アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。

残る一厘は誰も知らぬところに仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉れよ、神も大切ざが、この世では臣民の大切ぞ。臣民この世の神ぞ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。七月一日 ひつ九のか三。      」