ひふみ神示 地つ巻 第十一帖~第十四帖

      ひふみ神示より

 

    地つ巻 第十一帖


  世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違う臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。

 旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。

 国のひつきの御役も大切の御役ぞ。道とは三つの三つが一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終わりの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊(ひ)ぞ、富士都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。

 神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりてその御役位、分かるのざからみろくの世となりたら何もかもハッキリしてうれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、み光にみな集まりてくるのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。
   

                 九月二十日と一日、十二か三。

 

(超古代の帝が天船に乗って世界を御巡幸されていたという古文書もありましたね。五色の色の国にそれぞれ皇子様を派遣して治めさせていたとか?五色人のお面は幣立神宮で見たことがあります。)

 

 

第十二帖

この道は道なき道ざぞ。天理も金光も黒住も今はたましひぬけて居れど、この道入れて生きかへるのぞ、日蓮親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ、この道でたま入れて呉れよ、この道はゝぞ、〇の中にゝ入れて呉れと申してあろうが。
 臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことぞ、ゝ入れて呉れよ、〇を掃除して居らぬとゝははいらんぞ、今度の戦は〇の掃除ぞと申してあらうがな、まつりとは調和(まつり)合わすことと申してあろうがな、この道は教でないと云ふてあらうが、教会やほかの集ひでないと申してあらうがな、人集めて呉れるなと申してあろうがな。世界の臣民みな信者と申してあらうが、この道は道なき道、時なき道ぞ、光ぞ。
 この道でみな生き返るのざぞ。天明阿房になりて呉れよ、我すてて呉れよ、神かかるのに苦しいぞ。

    九月二十三日、十二〇(中にゝ)。


(〇はミ、ゝはキ 身と氣の意味と書かれていることがあります。)

 

    第十三帖

 

 赤い眼鏡かければ赤く見えると思うてゐるが、それは相手が白いときばかりぞ、青いものは紫にうつるぞ。
 今の世は色とりどり眼鏡とりとりざから見当とれんことになるのざぞ、眼鏡はづすに限るのぞ、眼鏡はづすとは洗濯することざぞ、上ばかりよくてもならず、下ばかりよくてもならんのぞ。
 上も下も天地そろうてよくなりて世界中の臣民、けものまで安心して暮らせる新(あら)の世に致すのざぞ、取り違へするなよ。

    九月二十三日、十二〇(中にゝ)。


  

   第十四帖

この道分かりた人から一柱でも早う出てまゐりて神の御用なされよ。
どこに居りても御用はいくらでもあるのざぞ。神の御用と申して稲荷下げや狐つきの真似はさせんぞよ。
 この道はきびしき行(みち)ざから楽な道なのぞ。上にも下(しも)にも花さく世になるのざぞ、後悔は要らぬのざぞ。蛙いくら鳴いたとて夜明けんぞ。赤児になれよ、ごもく捨てよ、その日その時から顔まで変わるのざぞ、神烈しく結構な世となりたぞ。
     

    九月二十三日、ひつくのか三。